「今年も慰霊の夏がやってきました 1」/加藤隼戦闘隊の歌をご紹介します。
今年も慰霊の夏がやってきました。今年こそ、陛下の靖国神社御親拝を仰ぎたかったのですが、やはりかなわず。本当に無念です。
岸田総理は、外務大臣の時、エノラゲイ機で原爆投下したパーソンズ中尉の眠るアーリントン墓地にお参りしたが、就任後初の8/15は靖国に参拝しないのだろうか?
もうこんなことを四十年以上も続けている。総理による靖国参拝の恒例実施なくして陛下の御親拝はあり得ない。靖国の御霊は、陛下が御親拝してくださると承知して亡くなったのである。その一つ一つの命の重さを後世の私たちは背負わなければならないのではなかろうか。
いまなお、万単位以上の遺骨が海外の戦地の地下に眠っている。そして家族を思い、家族を護るため尊い命の限りを尽くした英霊は無言で何も言わない。
こちら側からその時代の空気を掴みに行って静かに耳を傾けない限り、その声は聞こえないのかもしれないが、私はそうとは思わない。日本人の普通の常識感覚、一生懸命に家族のために働き、その仕合せを願って日々を生きているのであれば、それを聞くのはそんなに難しいことではない。時代が変わっても日本語で感じ、思い、そして語ることに何の違いもなく、容易にそのまごころに接することができると思う。そう思うのは私だけではないに違いない。
その声を明瞭に聴くことができる、軍歌をご紹介したいと思います。陸軍飛行第64戦隊の将兵の作になる、加藤隼戦闘隊の歌です。
加藤隼戦闘隊 - Wikipedia
シナ事変から活躍した陸軍飛行第64戦隊ですが、第二次大戦劈頭の、インドシナ、シンガポール、ジャワ攻略戦では赫赫たる戦果を挙げ、殊勲の感状を大戦間最高の七回にわたって受けています。そのうち最も優れたリーダーシップと技量を発揮し、戦闘機隼搭乗中に被弾、ビルマ戦でベンガル湾に自爆戦死した第四代隊長加藤建夫中佐の名前を取って、加藤隼戦闘隊と言われたのです。
その隊歌である、加藤隼戦闘隊の歌は、軍中枢から授けられたものではなく、隊内部から自然発生的に作られた歌なのです。隊員は皆、この歌に自らを励まし、戦友と生死を契り合って戦いました。であればこそ今もなお私たちの心に響いてくるものが有ります。
加藤部隊歌(加藤隼戦闘隊の歌)/軍歌-カラオケ・歌詞検索|JOYSOUND.com
以下、歌詞を掲載します。
1.エンジンの音轟々と
隼は往く雲の果て
翼に輝く日の丸と
胸に描きし荒鷲の
印は我らが戦闘機
2.寒風酷暑ものかはと
艱難辛苦うちたへて
整備にあたるつわものが
しっかりやって来てくれと
愛機に祈るおやごごろ
3.過ぎし幾多の空中戦
銃弾唸るその中に
必ず勝つの信念と
死なば共にと団結の
心で握る操縦桿
(ここで短調へ転調します)
4.干戈まじゆる幾星霜
七度重なる感状の
勳の影に涙在り
嗚呼今は亡きもののふの
笑って散ったその心
(再度長調に戻ります)
5.世界に誇る荒鷲の
翼のばせし幾千里
輝く伝統受け継ぎて
新たに興す大亜細亜
我らは皇軍戦闘隊
ご覧いただいたように、素晴らしい唄です。もちろん楽曲で聞くとその素晴らしさが一段と心に響きますが。
少々、蛇足の解説を加えますと、
一番は、栄光の戦闘機隼の雄々しさを、
二番では、まず縁の下の力持ちである、整備兵の苦労と親心を謡い、
その次の三番で、花の戦闘機乗りの心意気を勇壮に詠い、
四番では、転調した上で、英霊の雄渾と限りない敬意を、
そして最終五番で、その大義を高らかに歌いあげる
第二次大戦を戦った世代は厳しい時代の中、清々しいばかりの明朗な心とともに、わが身を顧みず、日本のため、アジアのため文字通り死力を尽くしたことが伝わってきます。
この夏、八月、やってくる慰霊の季節に、父祖の歴史に思いをいたして静かにその遺志を忍びたいと思います。