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「昭和の日に、靖国神社と乃木神社参拝しました」/昭和天皇と乃木大将の深い関りについて改めて思いをいたしました。
昭和天皇と乃木大将
昭和天皇と乃木大将の因縁についてはどこかで書いたつもりですが、思い出せず改めて記させていただきます。
文字通り乃木大将と明治天皇ついては深い因縁で結ばれていますが、明治天皇の御大葬のときに乃木大将が御夫妻で殉死されたということをここでは述べるにとどめておきます。
乃木大将を深く信頼された明治天皇は皇孫である後の昭和天皇の教育を託されました。そして昭和天皇小学校入学時に学習院院長に命じられたのが乃木大将であったわけです。
乃木学習院院長
乃木さんは残された人生のすべてを皇孫をはじめとした児童の教育に誠心誠意取り組まれました。
その導きに素直にまた子供なりに誠心誠意取り組まれたのが昭和天皇であったと言われています。
質実剛健、この言葉に寸分たがわない人柄を築かれたということです。
良く言われる挿話があります。乃木さんは、破れた靴下を繕って履くことは恥ずかしくなく寧ろ良いことである、そして常に質素を旨とされるようお諭しになったということです。幼い昭和天皇は素直にそれを実践され靴下といえども繕いながら出来るだけ長く使用されたということです。
昭和天皇が最も影響を受けたとされる人=乃木大将
戦後になり、昭和天皇が節目の記者会見をされたときこれまでを振り返ってということで述べられたことが記録に残っています。
昭和天皇は、自らの口で最も人生で影響を受けた人物として、「乃木希典大将学習院院長」を挙げておられます。
昭和の日に、靖国神社と乃木神社を参拝しました。
このような、深い関りと持つ昭和天皇と乃木希典大将に思いをいたして、昨日、令和五年四月二十九日昭和の日に、妻と二人で靖国神社と乃木神社を参拝してきました。
午前十時過ぎに自宅を出て、神田神保町に行って「天婦羅はちまき」にて天丼のランチを食べました。
揚げたてアツアツの、海老天、イカ天、キス天、ピーマン天、レンコン天に甘辛のたれのかかった天丼をご飯大盛り(1000円)でいただきました。
すっかりお腹が満足の状態で、靖国通りを九段まで歩き、大鳥居をくぐり、神社社頭で参拝しました。いつものことですが、参拝客が絶えることなく並び、昭和の日に相応しいすがすがしい気候の中で多くの人が靖国の神々に感謝の誠を捧げておられるのは本当に素晴らしいことです。
私も、乃木大将とともに旅順に、奉天に身命を捧げた神々に感謝の誠を捧げてまいりました。
靖国神社から、お堀端に並行して一筋中に入った通りを青山通りまで歩き、青山通りに沿って赤坂辺を歩き、秋篠宮邸、三笠宮邸を右手に仰ぎながら、乃木神社まで一時間強かけてゆっくり散歩しました。
乃木神社にも参拝客がひきも切らず、社頭には10人程度人たちが並んでいました。そして神社では結婚式が行われていたというのも良くある光景です。新郎新婦の仕合せを祈るとともに、乃木さんと第三軍将兵に祈りを捧げ、我が家皆の健康を祈ってまいりました。
乃木さんと昭和天皇については改めて記事にするつもりです。
今回は簡単に記させていただきましたが、乃木さんと昭和天皇に関しては、改めて記事にさせていただくつもりです。
まず、今回述べた戦後の昭和天皇記者会見について「昭和天皇実録」を辿ってみるつもりです。