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 夏は高校野球ですよね!
我が家も三男が高校野球をしていて、甲子園を目指し頑張っていました!
長男、次男も小学校から野球をしていましたが、高校からはそれぞれ好きな部活に入りそれぞれの道を歩んでいた中、三男は高校でも野球をすると選択しました。
 小学校5年くらいからピッチャーをするようになり、ピッチャー一筋で頑張ってきました。
 野球をするために、自宅近くの高校ではなく声をかけていただいた高校へ進学し、自転車で往復2時間通うことになりました。
 中学では、軟式野球のクラブチームに入り、基本土日祝日の練習や試合をするといった生活を送っていましたが、高校入学前から練習に参加し、高校に入学すると、ガラッと生活環境が変わり、朝練もあるため朝早くから夜遅くまでといった生活になりました。
高校野球をしている子供たちはみんなそうだと思います。
 入学して早々に春季大会がありました。コロナ禍ということもあり、コロナに感染して出られないメンバーの代わりにベンチ入りさせてもらったり、幸運なことに1年から3年と一緒にいろんな所へ練習試合に同行させてもらい、ピッチャーとしてマウンドにあげてもらうことも多く、経験を積ませてもらいました。1年の夏季大会では、背番号をもらいベンチ入りし、1回戦得点差がひらいた状態でマウンドにあげてもらい、失点しましたが投げさせてもらうことができました。
 そんな1年生の夏季大会が終わった頃、息子に異変が…
 ある日の夕食時、「お母さん、左側味しーひん…」と言われ、コロナ禍だったこともあり初めはコロナに感染したのかと疑ったのですが、熱もなく左だけ味がしないのはおかしい…と思い、一旦様子を見ることにしました。
 翌日の朝、「お母さん、見て!」と言われ、歯磨きをして口の中をゆすいでいる息子を見ると、左の口角から水がピュッピュ、ピュッピュと吹き出していました。
 ビックリして、息子の顔を見ると、左側の表情筋が弛緩していて口角が下がっているではありませんか!
 近所の耳鼻科に行くと左顔面神経麻痺と診断され、ステロイドの点滴を数日間受けることになり、治癒するまでは安静にし汗をかくようなことはしないよう言われました。なかなか治らないということで大きな病院を紹介され、ステロイドの内服やリハビリをしながら全治3ヶ月かかりました。
 その3ヶ月の間に、3年生の引退試合や秋季大会(新人戦)
 が終了していきました。
 顔面神経麻痺を患ったあと復帰しましたが、思うように成績が上がらず、コーチから投げ方をいろいろ変更され、2年の春季大会、夏季大会ではベンチには入れましたが、マウンドに立つことはありませんでした。
 きっと精神的にきつかったと思います。2年の夏季大会が終わったら頃、今度は肩が痛いと言い出したため、スポーツ選手を多く診察している病院へ受診することに…。
 ピッチャーをしているため、肘も肩も診てもらうよう伝え、受診したところ肩は異常なく、右肘が右肘頭骨棘骨折と診断され、まずはリハビリで保存的治療をすることになりました。肩が痛かったのは、きっと肘が痛いのをかばって投げていて、肩に負担がかかったんだろうなぁと私の推測です。
 保存的治療を1ヶ月ほど続けましたが、投げると痛みが出るため思いきって手術をすることに…。3年の夏季大会に間に合うよう10月の文化祭や体育祭が終わった翌日に入院し、手術をして1週間ほど入院しました。
  三角巾をして2週間ほど安静にしながら2回/週のリハビリが始まりました。
 そんな中、秋季大会(新人戦)が始まり終わっていきました。
 うちの息子には、高校在学中新人戦に参加することはなく複雑な気持ちでした。
 親子で公式戦で1回でも投げられるようになることを目標に掲げ、治療することに専念しました。
 リハビリをしながら、練習にも参加し冬連を乗り越え、2月終わりから3月にかけて少しずつ投げる練習を開始し、少しずつ練習試合で投げられるようになってきました。
 春季大会に間に合いそうな感じで、背番号ももらったのですが、痛みが強くなったためマウンドに立つことはありませんでした。
 夏季大会を目標に、春季大会の後の練習試合では、リハビリを続けながら、少しずつ投げる回数を増やしていき、4、5イニング投げられるようになるまでになってきました。痛みはありながら…。
 リハビリと関節注射を受けながら、頑張った結果、夏季大会には背番号「10」をもらうことができました。
 背番号を渡されるときには、監督から「よく帰ってきた」と言われ、監督が目を潤ませていたと息子が言っていました。
  いろんな事を乗り越え、3年の夏季大会が始まりました。
1回戦は雨のために2日も中止延期となり、観戦できるかどうか分からないなか上司のはからいで観戦することができました。義父が住んでいる地域のグランドで1回戦が行われたため、義父も応援に駆けつけてくれました。
 1回戦では、投げる機会はありませんでしたが、ブルペンで投げている姿を見て義父が声をかけていました。(ほんとは声かけたらダメなんですけどね…)
 義父も息子がブルペンで投げている姿を見て、とても嬉しそうでした。
 1回戦は勝利し、次は甲子園にも出場している強豪チームと対戦することになりました。
 相手に不足はありません。全力で戦ってほしいと思いながらの2回戦!
 なんと先発でマウンドに立つことに…。
何も聞かされていない私は、緊張でドキドキしながら、観戦していました。強豪チーム相手にどれだけ投げられるか、息子以上に緊張し心臓が口から飛び出そうなくらいでした。
  先行だったので、1回裏目標としていた夏季大会のマウンドに我が子が…。まだピッチング練習をしているだけの息子を見て、涙が溢れてきました。あとはただただ悔いのないように投げてほしいと願うばかりでした。
 強豪校相手に1回裏は0に押さえていました。
 2回裏、ツーアウトまで来たのですが、1点撮られた時点でエースに交代。我が子ながら、よく頑張ったと思います。
 残念ながら7回コールドで負けてしまいましたが、息子の目には涙はありませんでした。きっと高校野球人生を悔いなく達成感で満たされていたのだと思います。
 息子、お疲れ様でした!
君のマウンド立つ姿はかっこよかったです!
ありがとう😆

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