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内なる声(チャッター)を味方にし、子どもたちの成長やより良い学校づくりに努めることの価値

皆さんは、相手が何を考えているか推し量ることがありますか?
そして、そのときはポジティブに考えますか?それともネガティブに考えがちでしょうか?

私は、ついついネガティブに捉えてしまうタイプです。相手のちょっとした表情の変化や言葉の調子から、勝手にいろいろと勘ぐってしまいます。正直、自分でもなぜなのか分かりませんが、深層心理が影響しているのかもしれません。

そこで、私はこう考えることにしています。
「これは自分が作り出した“チャッター”に過ぎない。心の中のネガティブな自分が言っているだけだ!気にしないでおこう!」

実は、この「チャッター」という概念は、内省を研究する筆者が「自分と交わす無言の会話」について調べたものです。

彼はチャッターを

循環するネガティブな思考や感情

と定義しています。そして、こうした思考は素晴らしい能力である内省を、祝福でなく呪いに変えてしまうと指摘しているのです。

確かに、私には心当たりがあります!

皆さんにも、自分の心に問いかけるほどネガティブな感情に支配されてしまう、そんな悪夢のような経験があるのではないでしょうか?

実際、私もネガティブに考えすぎていたことが多いです。相手が特に嫌悪感を抱いているわけでもないのに、ただ「考えすぎ」だった、というパターンがほとんどです。

そこで、頭の中でグルグルと回る内省の「悪魔」をできれば味方にしたいと思っています。なぜなら、無理に追い払おうとすると、かえってしつこくついてくるからです。チャッターが完全に消えることはありません。それならば、価値あるものにできないだろうか、と。

筆者はこう述べています。

内なる声(チャッター)は、痛みを引き起こすからこそ価値があるのだ。

私たちが痛みを感じるのには理由があり、危険を警告し、対処するように促してくれます。このプロセスが生存にとって大きな利点をもたらすのです。

つまり、痛みや内省があるからこそ、学びや変化、成長が可能になるのです。

「まあ、これでいいや!」

とポジティブに捉えてしまうと、現状に満足してしまい、成長の機会を逃してしまうかもしれません。だからこそ、満足できない不安や苦しさが、より良い自分を求める原動力になるのです。

こう考えると、ネガティブな感情を味方につけることで、今まさに成長しようとする力を感じられる気がします。

「ありがとう、チャッター!」

くらいに考えることで、むしろ前向きに生きられるかもしれませんね。

教員として子どもたちと関わる中では、

「子どもが自分をどう見ているのか」
「信頼される存在であるか」

など、不安になることが多いでしょう。でも、だからこそ、今この瞬間に子どもの成長のために向き合えているか、子どもの心に寄り添えているかを、常に意識できるのです。むしろ、深く考えずに勝手気ままに接することのほうが、私にとっては怖いです。

もしかしたら、「チャッター」という言葉は聞きなれないかもしれませんが、誰もが心の中に持っている「内なる声」なのです。時には不安に押しつぶされそうになりますが、この声を味方にし、子どもたちの成長やより良い学校づくりに努めたいと思います。

皆さんの参考になれば幸いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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