本当は(1)の続き(というか前日譚)を書きたいが、統一教会から離れていってしまうので後まわし。
引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。
発言人物一覧
○金相根(キム・サンクン)……元在ワシントン韓国大使館参事官。1974年当時一等書記官。
○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長
『ワシントン反日デモ事件』を深掘りする(依頼篇)
『フレイザー報告書(和訳版)』(以下『報告書』と略す)42〜44ページに概容が書かれている「反日デモ事件」について、より細かく見ていこうと思う(『報告書』を読んでいることを前提に記事を書いているので悪しからず)。
この機密解除された合衆国情報機関の報告書では、ソウルの本部から命令を受けたKCIAワシントン支局がすぐに統一教会へ持ちかけたような印象を受けるが、実際はそうではない。
そもそもソウルの要望は「在留韓国人を利用した反日デモ」だったのだ。だが、
前年の1973年、金大中氏に絡む諸々の事件(その際たるものが「金大中誘拐事件」)で陰で糸を引いていたKCIAは、アメリカ当局から睨まれて目立つ行動を控えなければならなかった(こののち「コリアゲート」が世間へ露見し更なる苦境に立たされる)。ちなみに金相根は在留韓国人、リム・キュイル駐在武官は国防総省と連邦議会が担当である。
とはいえ、いちおうは努力したらしい。
金が仕立てた反日デモの詳細は全く情報が無く想像の域を出ないが、ワシントンではないのだろう。これは、金銭だけ受け取ってやらなかった、ということではなく、統一教会主催の反日デモが抜き打ちで早く実行(のち中止)されたため、実行されなかったのではないだろうかもっとシンプルな理由だった(こぼれ話(6)参照)。
いやはや、滑稽を通り越して憐れみすら感じる。
最終的にこの話は統一教会に持ち込まれることになるのが、統一教会側は誰が引き受けたのだろうか?
【註】ドナルド・ラナード……事件当時、米国務省韓国部々長。
デモ中止の際の伝達経路についての話ではあるが、この事件における統一教会側の窓口が、文の個人秘書でもあった韓相吉(ハン・サンキル)である可能性が高いことがわかる。
(3)に続く。