徒然物語56 望むように生きて
早朝の営業課は、まさに戦場のようだ。
特に月末ともなれば、ノルマの達成状況や、売上金の回収状況で部長・課長をはじめ社員全員が慌ただしくしている。
「今月いくら取ってきた!?…たったそれだけか!何をやっていたんだっ!?」
怒声が響く。
姉川辺さんが直立不動でうなだれているのが見える。
課長が、営業課員のノルマ達成状況をチェックしているのだ。
未達成の社員には、“詰め”という名の愛の鞭、もとい、厳しい叱責が入るのだ。
そして次は、私の番だ。
私もかろうじて割り当てを達成している程度で、決して誇れたものではない。
何とかやり過ごせないか。
こんな時の対策手段として、電話セールスがある。
担当先に電話をしている間に、順番をやり過ごそうという訳だ。
そうして、どさくさに紛れて外に出てしまえば、後はこっちのものだ。
受話器を上げ、担当先の番号を押す。
「はい、こちら東西商事でございます。」
女性の間延びした声が、受話器越しに届く。
「私、三角鋼材販売の枝杉と申します。購買課の今下様はお見えになりますか?」
私も営業用のワントーン高い声で応じる。
「今下ですね。少々お待ちください…」
そう言うが早いか、受話器から保留音が流れ始めた。
保留音というものは味気ない、機械じみた曲が多いが、ここは少し違った。
どこかで聞いたことのあるメロディが耳に流れ込んでくる。
ああ、この曲知ってる。
流れてきたのは惑星の名を冠する、有名な曲だった。
やさしく、穏やかな旋律が、殺伐とした心に沁みわたっていく――
いい曲だな。
思わず口ずさみそうになるのを堪えながら、保留音に浸る。
「お電話代わりました。」
突然、音声がぶっきらぼうな男の声に変わる。
と同時に現実に引き戻された私は、アポイントの用向きを伝える。
「はい。それでは後程。よろしくお願いします。」
受話器を置くと、課長と目が合ってしまった。
冷たい視線が、早くこっちに来いと促している。
どうやら逃げることはできなかったようだ。
再び戦場に身を投じる覚悟を決める。
心の中では、あの優しい保留音がまだ鳴り響いている。