IBN寮物語—新入寮生歓迎会2—
鹿本が小鹿のようにプルプルと震えて立ち上がれずに腰砕けになっているのを見て、アルコールのアレルギー反応が出ていると全員が思った。鹿本は金属アレルギーを持っているので、アルコールアレルギーを持っていてもおかしくない。
と新入寮生が思っていると、先輩たちが数名立ち上がり、鹿本の手を彼らの肩に乗せて担ぎ込むように、便所に連れて行った。そして、「鹿本、吐け」と言う。鹿本も吐こうとしているのだが、うまく吐けない。そうすると先輩が「中指を立てて、喉の奥をつけ」と具体的な指示が出た。鹿本がその通りにすると、多少吐けた。しかし、全部吐けたかどうかは確かではない。そうすると、一人の先輩が自分の左手の中指を突き立てて、鹿本の喉を押し出し始めた。すると、鹿本が先ほど飲んだ物はおろか、さきほど食べた焼きそばや何やらが大量に出てきた。左手の中指を立てる行為には象徴的な意味しかないと思っていたが、具体的に使用する場面を初めて見た。ただ、どちらも意味は同じで、"F*ck you"だ。
先輩が吐しゃ物の量を確認すると、便所でその吐しゃ物を流し、まるで慣れた外科医のように、自分の手を便所についた流し台で洗いながら、新入寮生の私と猪俣を指名して「鹿本を1談(1階談話室で新入寮生の寝室)に連れていけ。横向きで寝かせといて、しばらく様子を見てろ。呼吸が乱れたり、声をかけても反応しなくなったりしたら、すぐに知らせろ。」と言う。鹿本の両腕を私と猪俣の肩に乗せて、一階談話室に向かう。そこで、鹿本の布団を敷いて、指示通り、彼を横向きに寝かせて、様子を見ている。「鹿本、大丈夫かー」と声をかけると、「ありがとうー。大丈夫―」とか細い声で言っている。
猪俣が鹿本の腹の上下運動から呼吸の数をカウントし、呼吸数に乱れがないかどうかを確認している。私は5分おきに「鹿本―」と声をかけ、「あいー」という鹿本の反応を確かめている。私も猪俣もこの作業に二人もいらないということは当に気づいているが、二人ともこの作業を黙々とする。というのも、お互い口には出さないが、鹿本の介助という名目でずっと1階談話室に居続ければ、「口上(こうじょう)指名」の嵐となっている4階談話室に戻らなくてもいいのでは、という下心があるからである。
それから30分ほど経った頃であろうか、先ほどの先輩が入ってきて、「鹿本―」と急に声をかけるので、鹿本が「あいー」とか細く答える。そして、先輩が鹿本の首元を触り、「平熱だな」と言い、「息苦しいか?」と聞くので、「息苦しくはないですー」と鹿本が言う。そして、その先輩が鹿本の様子を我々から聞き取った後、「お疲れ様。後は俺が見ているから、お前らは4談(4階談話室)に戻れ。口上(こうじょう)してないだろう」と言う。この声掛けは優しいのか、厳しいのか判断はつかないが、とりあえず、猪俣と一緒にしぶしぶ4階談話室に戻る。
なお、これ以降、鹿本は口上(こうじょう)をしなくても良くなったのだが、数年後に鹿本が無事物理学科に3年時転入を果たしたときに細やかな祝賀会が開かれた。そこで、鹿本が日本酒を飲んでいることがIBN寮内で知れ渡ることがあった。その後、「なんでお前が日本酒を飲んでいる?アルコールは飲めないんじゃないのか?」と私が問い詰めると、「いやーわしゃ、あーいー飲み会が嫌じゃけ、潰れたフリをしたんじゃ。今はアルコール分解も化学式で書けるしのー」と朗らかに言っていた。どうやら、IBN寮内の全員が鹿本に一杯食わされたようである。振り返れば、鹿本のこの対応が口上(こうじょう)に対する最も優れた戦略だったと言える。
が、このときはまだ、私と猪俣は口上(こうじょう)指名の嵐の中に戻らなければならない運命にある。