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父がコロナになった

2020.12.10の昼過ぎに母から突然電話があった。

聞けば父のご友人(詳しくはわからないが仕事でもご一緒したりしているらしい)がコロナ陽性になったと連絡をもらって、父もその日に検査を受けたとのこと。

父の結果次第で母も検査の連絡が来るようだ。

父に症状は出てるのか聞いてみたところ、数日前から少し咳が出始めていたらしい。なので、父も母自身も陽性の可能性が高いと思うと言われた。

父の検査結果が分かり次第また連絡をすると、その日は電話を切った。

次の日の朝、LINEのメッセージで父が昨日中に結果が来て陽性だった為に入院したという内容が飛んできた。(おいおい、結果分かり次第連絡するって言ってたじゃないか!と思ったが、実際は慌ただしかったんだろうなと心を落ち着ける)

ここまで書いていて察しの良い方は、私が両親とは離れて暮らしていると予見してくれているかと思う。

私はかれこれ10年ほど都内在住だ。実家は東北地方の田舎にある県(ここではプライバシー保護的に限定はしないでおく)にある。

父が陽性者になったと理解した瞬間になんとなく、自分の吸ってる空気が変わった。身内に感染者が出ることによるプレッシャー。見えない何かから急に圧を感じはじめた。

10日に連絡をもらい、そしてそのまま入院。結果を聞いた父の心境は伺ってない。が、いい歳した中年でどんなに悟りを開いていたとしても動揺しない人の方が少ないだろう。

想像するに入院の支度でその日は大変だったんだろうと思う。陽性者になった父を見送ることもできない母を思うとその日に連絡できなくても仕方ないと思った。

…考えたくはないが、それが最後の別れになることだってあり得るのだ。それを唐突に突きつけられて、落ち着けと言われても難しいだろう。そんな中でも騎乗に振る舞う母はすごいと思う。

母の検査は12日の土曜に行うこともメッセージに記載されていた。

自分が両親から感染するリスクはない。でも、何も出来ない。近くにもいけない。何も出来ない敗北感、焦燥感が襲ってくる。そして、それは日に日に大きくなりのしかかって来ることになる。

入院当初、父の症状が軽いこともあり、私としては母の方が心配だった。

母は、生活習慣病の疾病を抱えている為、陽性の場合ハイリスク患者になる。重症化リスクが高いのだ。だから、この時は母の方を重く考える自分がいた。

父も高血圧とお腹周りがメタボではあるが、他は恐ろしいほど健康的な身体で楽観視はしていなかったが、重症化する可能性は低いと考えていたからだ。

父が入院してから母が検査を受けるまで3日も1人で過ごすことになる。母は、とても辛い夜を過ごしたと思う。父は父で義理堅く、優しい人間なので感染させてしまっていたらと…とても不安で苦しい思いでいたのではないかと思う。

11日の昼間に母と通話した。アビガン治療を開始した父は特に経過で変わったことはなく、咳はあるが話すことも問題ない様子だったようだ。

母は自分が感染しているだろうと落胆していた。一番辛いのは父がそのせいで落ち込むであろうことであることも察した。とても気持ちは分かるが、なによりも今は自分の免疫を落とさない様にしっかり食べて寝て欲しいと言葉をかけた。

そんなことしか言えない自分も情けないなと思うが、言わねばならない。おそらく、母は色々なことを一番に聴くことになるから冷静でいる事が難しくなる。だから、私は常に第三者目線を忘れてはいけない。母も守らないといけない。と使命感が湧いていた。

朝のメッセージをみてから、家族グループにLINEをした。父は仕事人間なので、ちゃんと治療に専念して欲しいと思ったからだ。内容としては、長い入院生活での過ごし方を考えないとだねと。軽症であれば、2週間部屋に閉じ籠もるなんて父には地獄のようだと思ったからだ。

動いてないと死んでしまう(比喩)人って周りに1人はいると思うが、父はそのタイプの人間だと思う。仕事もお酒が大好きで遅くまで飲むが朝も6時には起きる。それを長年続けている。健康の秘訣は、規則正しい生活なんだと改めて思う。

暇な時に見てもらえるように猫の動画も少し送った。自分が体調悪い時、下手な励ましとか、そーいうものより暇つぶしになるものの方がいいと思っている。

父は友人・知人が多い人徳者なのでおそらく沢山連絡も来てると思った。私まで「大丈夫か?頑張れよ!」なんて言うのは鬱陶しいだけと思う。(身内の言葉に鬱陶しく思うことはないかもしれないが…)

(でも、私は友人も少ないので、全てありがたく受け止められるという皮肉も交えておく)

その後、父もたわい無く返事を返してくれた。猫の成長を嬉しそうにしていて良かったと思った。

母が少しでも寂しくならないようにLINEも朝と夜は絶対に送ろうと決めた。家族グループにも父が鬱陶しく思わない程度に送ろうと決めた。

私は一人っ子だ。両親を支えられるのは私しかいない。少しでも頼りになれるように、私は最後まで冷静な判断をしなければと強く思った。

これが12月10日、11日の出来事。

…まだ道半ばだが、記憶の劣化がないうちに綴っておきたいと思う。

この経験を通して、いろいろなことが変わる気がしている。その軌跡を赤裸々に残していきたい。

最後に、これまでにコロナでお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また全ての医療従事者の方々へ、深く深く感謝申し上げます。


トネコ


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