抵抗のない文章にある引っ掛かり。

『妹さえいればいい。』を読み返した。文体や会話文を見習おうとしてパラパラ読んでいく。ページをめくる手が止まらない。おもしろさに引っ張られてページをめくっているのではなく、読みやすさに誘導されて読み進めていっている。
 ライトノベルとは文字通り軽く読める小説だと分からされた。スナック感覚でページをめくることができる。一文ごとに意味が込められている詩とは対極にある。
 ただ、文章におもしろさが無いわけではない。版権モノの名詞に●を付けたり(●ラえもんみたいに)、文字を太くしたり大きくしたりその二つを組み合わせたりして、絵的な楽しさがある。また、“無条件で主人公のことを愛しているヒロイン“との会話も、それを自覚的に行っていて、過激な下ネタや業界ネタを組み込むことで読者に興味を持たせる引っかかりを作っている。
 平坂読に対する信頼によって無条件にこう思わされているのではなく、筆者の技術に手を引かれていた。
『妹さえ』が三人称の小説だと覚えていなかった。これを読んでいた中高生のときは小説の視点を気にしていなかったから当時と別の読み方ができた。これは本当に幸せなことだと思った。
 一巻は人に借りた。その人は本を読みたいから初心者でも読みやすい本を選んで欲しいと頼んできたので、最初から借りるつもりで僕が読みたい未読本ばかりを勧めた。
 第一巻の最初の章はアクそのものみたいな劇中作で読んでいるあいだの抵抗感も半端じゃなかった。それでも最後まで読んだのはネットで読める小説と違う点だと思った。ネットだとブラバする。
 ヒロインの一人がハイスペックイケメン俳優とデートに行く回があって、それが辛すぎるあまりその先を一年間読めなかった時期があった。
『変人のサラダボウル』は一巻の帯にいる織田信長にムカつきすぎて買えなかったけれど読んでみようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?