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この家の人はおそらくインターホンを盗まれた経験がある。

・あべのハルカス美術館の『コレクター福富太郎の眼』に行った。美術館に行くのは初めてだったので、新鮮さも相まってとても楽しかった。

・入場した廊下のつきあたりに鏑木清方の『薄雪』が展示されていた。初めは絵の前がバミられていることとか、僕以外の人の身なりが綺麗なこととか、上流階級っぽいおじさんが多かったこととか、僕以外が履いている靴が綺麗だったこととか、おじいちゃんの履いている靴がニューバランスだったりしたことに気を取られていた。


・『薄雪』はうすゆきと読む。ひらがなで書くとひろゆきの切り抜きチャンネルみたいになるな。ひろゆきのあんまりすごいことを言っていないときだけを切り抜いたチャンネル。

・薄雪に二人描かれていることに最初は気づかなかった。手前の女の存在感が強すぎて、気づかなかった。女は薄目で僕を睨んでいるように感じた。女と目が合って、僕と絵の二人は同じ場所にいるように錯覚した。絵の中に入る感覚ではなく、絵の世界が周囲の現実を侵食して展開しているような感覚があった。その場所では女と抱き合っている人が深爪で、地面に紅葉や枯葉が落ちていて、そういうものが存在していて、不思議だった。僕は「彼女らを見る」という関わり方でさえ、彼女らの世界に入ってしまうような気がして、だんだん居心地が悪くなってきた。

・池田蕉園『宴の暇』。アンニュイな雰囲気を纏って階段に座っている人の絵。


・実際に見ていた時はまげを結っているので男だと思っていたけど、着物を着ているから女なのかとも思った。そしてその違いはこの絵の前では些事であるように思えた。手持ち無沙汰で扇を閉じたり開いたりしている様子が簡単に想像できる。絵の人は遠くから聞こえる楽しそうな声とか音とかを本当に音としてしか捉えていなくて、しかも良く抜け出しているからすぐに忘れるという設定を考えたけど、宴の暇って幕間みたいな感じなのかな。だとしたら解釈が変わってきますが。

・この絵の人を勝手に現パロ・学パロして、学校の屋上に続く階段に座らせたり打ち上げのカラオケで途中退室させたり寝るためだけに保健室に向かわせたりしていた。

・北野恒富『道行』。『道行』はみちゆきと読む。例のごとくひらがなで書くとひろゆきの切り抜きチャンネルみたいになる。ひろゆきの歴史を解説するチャンネルで、ニコニコ動画を立ち上げた瞬間の動画などを投稿している。


・二曲一双というらしい。道行のような屏風のことを。道行を見たときも僕は絵に侵食された。見始めたときは女の眼や男の眼の力にただ引き寄せられているだけだったが、次第に絵と現実が地続きになってくるような錯覚が起こる。二人と僕が同じ道を歩いている。

・二匹のカラスが喧嘩している。あんまりカァカァうるさいので目が向いた。一匹はクチバシを大きく開いて、一匹はつんざくような鳴き声で、それぞれ黒い羽根を落としながら威嚇し合っている。その先に一組の男女がいた。女は放心したような顔で男に寄りかかってはだしで歩いている。男はまるで人形のように生気がなく、ただ遠い一点を睨んでいる。僕は彼らを横目でちらと見ただけで、これから彼らがどうなるのか、分かってしまったような気がした。

・この感覚を忘れないように、何度かこの屛風と平行に歩いて横目で見た。

・絵は実際に見た方が良いと分かった。でっけーからすげぇく思える。

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