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yksin matkustaminen

 週末から、一週間ほど一人旅に出ます。憧れの寝台列車に乗って北へ向かいます。とてもワクワクするけれど、それと同じくらいドキドキしています。

 なぜかというと、私の語学力です。海外にボランティア留学する、そう言うと人は口を揃えてこう言います、「英語話せるの?すごいね!」「私も英語が話せたらいいな」、と。いえいえいえ、それはただのイメージです。いや、実際、海外に渡航する人は英語でのコミュニケーションが可能な人が多いと思います。

 ただ、例外もいます。それが私です。

 私の英語力は……中学の頃、英検3級には合格しましたが、あの頃の英語力はもうないでしょう。よく判断基準として「中学生レベル」みたいにいうことも多いですが、私は「2歳児レベル」です。これは関西在住の方にしか分からないと思うんですが(在住の方でも知らないかも?)、「菅ちゃん英語」で日々暮らしています。文法はめちゃくちゃ、過去と現在が混じりまくり、発音はカタカナ。そんな私が、精神状態も健やかに今フィンランドで暮らせているのは、周りの人たちのおかげだと思います。

 もちろん、渡航直後は言葉の壁がそれはそれは分厚くて高くて、よく泣きました。言いたいことが言えない、言われていることが分からない、分からないけど分からないって言い方が分からない。けれど、このままじゃダメだと思って、ある日、翻訳ツールを使って自分の気持ちを訳したものを、ホストファミリーの前で読み上げました。ホストマザーは、読みながら涙が止まらない私の肩に手を置いて、優しい表情で最後まで私の言葉を聞いて、最後にぎゅうと抱きしめてくれました。話してくれてありがとう、と。あの瞬間、どれだけホッとしたか。

 そこから、下手くそなりに、とりあえず伝わればいい!ということで、話す回数を増やすようにしました。英語だけではなく、フィンランド語も。英語が苦手な私にとって、苦手というイメージも何もない真っ新なフィンランド語は、難易度こと高いものの、英語よりも学ぶことが楽しい言語です。最近は、フィンランド語で話している人たちの話を聞いていると、話題が何なのか、くらいは分かるようになりました。カフェでの注文は、ばっちりできます。

 話せないなりに伝える、伝えようという気持ちをもつ、ということを念頭に日々人と関わるようにしています。自分の語学力も少し伸びた、ような気がしていますが、それより何より、周りの人たちの共感力に支えられて、日々コミュニケーションが取れているなと思う日々です。

 今、私の周りにいてくれる人たちは、私が言葉の壁を感じていることを理解した上で、私の拙い言葉に懸命に耳を傾けて、理解しようとしてくれています。それが分かるから、本当にありがたくて、嬉しい。

「どうしたらいい?これ。えーっと、あの、する?今すぐ。ハサミで、切る?」

 普段私が話している英語やフィンランド語を日本語にするならこんな感じでしょう。私の口から飛び出す単語を並べて……もはやパズルなんじゃないでしょうか。それでも理解してくれるみんなには本当に感謝しかない。

 話すことばかり書きましたが、リスニングはまだできます、もちろん、トーキングよりはいくらかマシ、レベルですが。でも、これ、不思議なんですよね。その人の言ってることが「理解できる人」と「理解しにくい人」がいるんです。同じ英語でも何を言ってるかすぐに理解できる人と、全然頭に(むしろ耳に)入ってこない人がいるんです、人だけじゃなく、時と場合も。騒音があるとか体調が悪い、とかではなく。(体調が悪い時は基本的に全然理解できません)

 なんでかなってずっと思ってたんですが、ふ、と気づいたのは、話している人が「伝えようとしながら話しているか」、もしくは「一方的に話しているか」なんじゃないかなって。私の語学力を知った上で、伝わるように話してくれる人の言葉って何故か理解しやすいんです、自然と耳に入ってくる。でも、そんな人でも「ちょっと聞いてよー!」みたいな勢いで話している言葉は、理解が難しい。それから、私が理解できないことへの不安を気に留めていない人の言葉は、まぁ、びっくりするくらい理解できない。気のせい、と言われればそこまでかもしれませんが……でもなんとなく、「共感力」なんじゃないかな、と思います。

 伝えようとする、理解しようとする、その気持ちがあるかないかだけで、言葉の届き方ってやっぱり変わってくると思う、きっとそれは日本語でも同じで。国が違えど、言葉が違えど、相手に対する姿勢がコミュニケーションには大きく関わってくる、そんなことを日々感じます。「知ろうとする」という姿勢が、大事なんだなぁと思います。

 たまに思うんですよね。ふ、と、周りを見渡しても日本人は一人もおらず、日本語を話せる人は勿論いない。フィンランド語と英語(その他スウェーデン語やロシア語)に溢れた世界、私、よくやってるな、すごいな、って。言葉が通じにくい場所で一年間過ごした経験って、きっとこれからの私を支えてくれるだろうな、と思います。そして、この期間を支えてくた人たちに出会えた人生に感謝をするでしょう。

「話せないのに、すごい決意だね」、と言われることも多いですが、それはあんまり自覚してなくて。渡航後に、すごいことしてるな、と思うことはありましたが。同じ人間だし、ボディランゲージとか絵で描くとかあるし、翻訳機もあるし、みたいな勢いだけで来たので。勢いだけだから、めっちゃ不安にもなるんですけどね、旅の前夜とか、特に。今、まさに、不安なので、頑張れ自分、と思って書いています。

 でも、もし、言葉のことで留学や海外渡航を悩んでいる人がいたら声を大にして言いたいです。

「言語はなくとも、なんとかなる!」

 もちろん、気合は必要です、そして語学力があるに越したことはない。でも、言葉、だけがネックで渡航を躊躇っているなら……一歩踏み出すと、世界は変わるかもしれないです。きっと私の世界は、今、大きく変わろうとしてるんだろうな、そんな風に思います。

 タイトルが「一人旅」なのに、言葉の話ばかりになってしまいましたが……一人旅期間中は、毎日noteを書きたいな、と思います。

 では、パッキングしてきます。忘れ物しても、まぁ、人間が暮らしてる土地なので、なんとかなるでしょう。多分。

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