2020.10.04、三月のパンタシア『恋がキライだ』が好きだって話

 おとといからずっと考えていることがあって、締切の今日の16時になっても答えは出なかった。で、悩みまくって22時くらいにすべての答えが出た。ベッドにうつぶせになって脳内で小説を書き続けたらついに「その一文」に辿り着いたのである。それまで無数の音楽を聴いてインスピレーションを刺激していたおかげだと思った。僕にとって音楽は常に創作の糧である。二輪があるとしたらもう片方は映画だ。小説、漫画、ドラマなども見るが、それは補助輪である。それから、旅行や写真やリアル体験も糧だが、メインの二つほどじゃない。ありがとう音楽。直接役立ってくれたのはCHICO with HoneyWorksだが、それ以外にも感謝したい。

 ところで、最近三月のパンタシアの『ブルーポップは鳴りやまない』という最新のアルバムを買った。三月のパンタシアは昔からyoutubeでよく聴いていた(「青春なんていらないわ」が特に好きだった)のだが、アルバムを買ったのは実は初めてだった。全体的に夏のラムネみたいな爽やかでポップなアルバムでとてもよかった。「サマーグラビティ」や「醒めないで、青春」などの曲はまさに思春期の女子高生という感じがした。

 個人的に一番好きだったのは「恋はキライだ」という曲。サビ「恋はキライだ 君がスキだ 悲しくないのに泣かすなよ 恋はキライだ 君がスキだ 朱色火花 サイダーブルーはこれからずっと君の色だ 恋はキライだ 君がスキだ その手に触れてしまえばよかった」でやられた。キライ、スキ、とカタカナにするところからポップだ。さらに恋はキライなのに君がスキという言葉選びの見事さといったらたまらない。「サイダーブルー」はつまり夏の象徴だが、それが「これからずっと君の色だ」というのも素晴らしく青春だ。言い切っているのがいい。さらに「触れてしまえばよかった」である。つまり、触れなかったのだ。きっと両片思いだったのにその手に触れられなかったからどうにかなれなかった。それを「触れればよかった」ではなく「触れてしまえばよかった」と表現するところに青春の妙がある。「しまえば」というのは取り返しのつかない感じがする。触れてしまえば(良くも悪くも)取り返しがつかなかったのに、その勇気がなかったのだ。この絶妙な距離感こそ青春である。ちなみに曲は「恋が好きとかもう言えないや やっぱひとりじゃ さびしいや」で始まる。つまり、君に恋をしてしまったが故に、気軽に「恋が好き」と言えなくなってしまったわけである。たまらねぇ。

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