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今年はグノーシスの探求

ここ数日なのだが、noteにて、この様な記事を見付けた。

筆者がこの記事を物しているのは1月であり、つまり、通称・正月である。けれども、能登半島地震を始めとして様々な事件が年始に集中し、正月らしい記事を一本も書けていないことに、気が付いた。
ということで、今週は時事分析ではなく、既存企画に便乗して筆者が本年、特に学びたいことについて、幾らか書くこととしたい。とはいえ、筆者が学びたいことなど、たかが知れており、どうせ時事分析に関わることである。そういった意味では、時事分析の特別企画、あるいは箸休めとして本記事をお読みいただければ幸いだ。

では、早速本題なのだが、筆者は(本記事の題の通り)今年は「グノーシス主義の探求」に特に力を入れていきたいと考えている。というのも、このグノーシス主義と呼ばれる一連の宗教思想、または思想集団こそが、世界支配層を牛耳っていると思われるが故だ。

例えば、先年10月初週の時事分析で筆者はグノーシス主義とAIとの関係について一記事書いている。

この記事では、量子コンピュータ、AI、グノーシス主義の、以上三つの要素を検討していった結果、現代の人工知能開発の根底に存する思想こそが、グノーシス主義である、ということを発見した。2024年、今年も必ず支配層の弄するAIや量子コンピュータ、またこれらに連なるメタバースに動きがあることだろう。その未来の動静を予測するにあたり、根本に存する思想の把握は重要であると思われる。よって、まずはこの理由から、グノーシス主義の探求に、ある程度筆者は時間を割く価値はあると思うのだ。

無論、グノーシス主義が重要な理由はこれだけではない。例えば、昨今巷間を騒がせた、所謂「人口削減」計画の根底にあるのも、グノーシス主義であると、筆者は考えている。

グノーシス主義に於いて、現世とは、偽りの狂った造物主、デーミウルゴスが創造した世界である。そして、彼等の神話では、我々人間の魂は輝かしき神々の世界(プレーローマというらしい)から現世へと「誘拐」され、デーミウルゴスに囚われてしまったのだ。然るに、肉体は魂の牢獄であり、肉体を喪失する「死」とは、紛れもなく、我々の魂にとっては「救済」であろう。これを踏まえると、新たな肉体を生む受胎、或いは妊娠という行為は、徒に肉体という牢獄を現世という刑務所へと増設している、極めて不道徳な行為であり、厳に慎むべきである、ということになる。つまり、彼等にとって生殖とは「大罪」なのだ。この理由から、人口削減、或いは昨今流行りの人間に対する「不妊化技術」は倫理的に正当化されることになる。人口を増やさない、換言すれば、新たなる肉体を生じさせないということは、とりもなおさず、それだけデーミウルゴスの虜囚となる魂が少なくなる、ということなのだ。これで、新型コロナウイルスワクチンや、その他の不妊化の技術であるとされている一連の陰謀の首謀者というものが、容易に分かろうというものである。即ち、彼等はグノーシス主義者なのであろうと、筆者は考えている。勿論、彼等はこれから生じる生命と同様、これまでに生じてきた生命、つまり、現に生きている我々に対しても要らない「温情」を、実に執拗に提供してくれている。戦争、疾病、化学物質、経済恐慌……挙げれば切りはないが、兎も角、それは我々の死期を早め、命を奪うものだ。筆者としては、現世が必ずしも悪ではなく、むしろそれ自体として存するものであると考えており、一概にそこから解き放たれることが善であるとは考えない。そこでしか得られない幸福や悦楽が存することであろうし、誰をもそれを奪う権利を有していないだろう。むしろ、それらを簒奪することこそ、罪悪である。が、それでも支配層は思い込みの激しく、押し付けがましい連中であるから、我々を「救済」しようと実にしつこく策を弄し続けることが予想される。そういった連中の思考を把握し、先を読むためにも、彼等の思考の根底に存する思想を理解することは、極めて重要である。したがって、これがグノーシス主義の探求を今年行う第二の理由だ。

さて、最後となる第三の理由だが、読者諸賢は「グノーシス主義的転回」「グノーシス革命」といった用語をご存知であろうか。

明治神宮―グノーシス主義的転回とは?|Atelier FLORESTA (saipon.jp)

情報アナリストの原田武夫氏が主唱している概念であるらしいのだが、俄にこれが陰謀論界隈を賑わせている。この耳慣れない概念の実態については、余り検索しても情報が得られないため、筆者は十分に把握できていない。しかし、一つ言えるのは、何らかの造語が世に送り出され、そしていつの間にか人口に膾炙した際には、その造語には何らかの目的が存する、ということである。今回の場合、グノーシス主義的転回やグノーシス革命は、正しくこれを流行させた連中の目的が隠匿されていることであろう。そして態々グノーシス主義という概念を当該の用語に入れていることからも、グノーシス主義の把握が、彼等の目的の理解に繋がると思うのだ。そして目的の把握が、次の行為、即ち次の展開を読む鍵となることは、言を俟たないことであろう。よって、原田氏を使ってこの概念を流行させようとしている連中が次に何をしようとしているのか、その一手を読むために、グノーシス主義の探求は必須のものと、筆者は考えている。

以上、三つの理由から筆者は今年、グノーシス主義の探求を精力的に行っていきたいと思っている。noteの閲覧数をデータを参照するに、どうやらグノーシス主義について興味のある読者諸賢は一定数居られる様であるから、首尾よく探求が成功した場合は、再びKindleあたりで電子書籍として成果を発表しよう、したい、出来れば良いが……
まあ、何はともあれ、現在の状況を理解することに於いて、グノーシス主義の理解は必須である。読者諸賢も、今年を「グノーシスイヤー」にしてみては、如何だろうか。


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巣尾黒曜
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