
7.13 きょうおもったこと
田端
2018年7月13日。ひさしぶりに田端の桂三木助家を訪れました。真打になる15年の早春以来ですから、3年ぶり。その前は、実に15年前。
先の師匠が亡くなり、当日に田端を訪れ、葬儀、告別式、お別れの会まで足早にすぎ、まさかに師匠に弔辞を送り…と目まぐるしい21歳の冬でした。
あれから、17年。
盆の入りのため、谷中の菩提寺に三代目師匠と四代目、親子の御霊をお迎えにいき、田端の三木助宅へ帰りました。仏壇に手をあわせるのも、ひさしぶりのこと。ひさしぶりというより、もう、叶うことはないと思っていました。
仏間があるのは、二世帯住宅の三木助宅で、三代目のおかみさん、お姉さん、現五代目が暮らしている、二階です。
「六、アンタここでご飯食べたり、あたしたちと話をしたりしてたんだよ?覚えてるかい?アンタ、勝手にいなくなっちゃって…」
そうか。
わたしは、ただただ破門になったとばかり思っていました。いや、それはそうなんです。わたしからしたら、もう、居てはいけない人間だと思い、さまざまなものから気持ちが離れ。
でも、おかみさんが言ったように、勝手にいなくなった。ある日、勝手にきた青年が弟子となり、家族のようにそこにいて、勝手にいなくなる。
田端での日日に想いを至らせると、いまこの仏間にいる自分は誰なのか?いったいきょうが、何年の何月なのか、階下に師匠がまだいる気すらして。でも、いまは、2018年の7月13日で、18歳だったわたしも、六久助でなく、三遊亭 司で38歳。師匠は17年前に亡くなり、甥のヤスヒロがこの秋に五代目を襲名する。田端での日日と、おかみさんやお姉さんとはなしをしていると、ただ、ただ、涙しか出ませんでした。
あんた、また、泣いてんの?
と、お姉さん。お姉さんはあのころから変わらず、厳しいし、こわいけど、やさしい。
長居も迷惑だろうと「では、そろそろ」と田端を辞すると、
六、悪いけど、帰りにその手紙ポストに入れてらいってよ。
と、何十年ぶりだろうか、おかみさんにおつかいを頼まれるのは。勝手にではなく、「ハイ」とこたえて、田端の家を表玄関から出た、名前がついて20年目の18年7月13日。
あの日のことを、思い出しておりました。
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