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1.24 武蔵新田
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四十六年間住んだ街をいまだにぐるぐると歩いている。武蔵新田、石川台、矢口渡。いずれも東急線の駅名で所名は矢口、東雪谷、多摩川と、それぞれに18年、12年、16年住んでいるが、どうにもこの細細とした街は、大田区に46年と言う感覚のほうがしっくりくる。
多摩川の自宅から、その所名の由来である多摩川を背に、矢口渡駅、環八、さらに真っ直ぐ行くと日体荏原高校、適当に左におれて第二京浜をわたると武蔵新田駅、商店街を素直に歩くと新田義貞の三男・新田義興公を祀る新田神社に出る。武蔵新田の駅名の由来だ。商店街は鎌倉街道の名残で、ここいらの裏道へ入った不規則性は、多摩川の流れが現在と違ったせいだろうか。多摩川に出て、下流──六郷、羽田にむかって下れば10分もしないうちに、また、うちにつく。
齢四十六、若くもなく老人でもない。それでも、物心ついたころから知る街の商店街を歩くと、確かに時は流れている。小学生のころから電車通学なので、6歳から18歳まで、毎日この商店街を歩いていた。その頃のことを振り返りながら歩く。そんなことをしなくても、脳裏に浮かぶのは、あの頃のこと。武蔵新田の駅前には焼鳥屋があった、持ち帰りか立って食べるか、酒はなかった。ちょっと行くと、右手にマーケット式の名残を残した肉屋と八百屋で左手が湯屋。森の湯だったか。商店街の入り口が鰻の山縣屋。商店街を入らずマルエツに抜ける斜めの道の右手がおもちゃ屋。商店街に入り、左手が本屋、新田書店だったか。さらに進んで、右側にあったのが肉屋の太田屋。新田神社の前には蕎麦屋があって、酒屋もあった。その向かいは乾物屋のような食料品店だったか。八百屋があって、隣が燃料屋。その先の中華屋が宝来、その隣が靴屋と小鳥屋。もう一軒の湯屋、新田浴場と群馬食堂は閉めたままで、フレンドベーカリーはその佇まいのまま静かに店を閉じ、その隣には小さな薬局。ポマードあたまな白衣のおじさんが、店頭でいつも煙草を服んでいた。商店街の出口がまた八百屋。北嶋さんだったか。床屋も二軒、一時立喰蕎麦屋があった時もあった。みな、なくなった店ばかり。いま、見ている街と記憶の乖離に眩暈がしそうだ。時空のゆがみのよう。
それでも、豆腐屋に魚屋に金魚屋。小さな頃から馴染みの店もいまだに健在。金魚屋などは、よくこのまま残ったなという風情であるが、よくよく見ると、一見懐かしい色彩のままだが、水色の枠の中に、赤い文字で金魚と書かれたその看板は、新しく綺麗に書き直されたことがわかる。変わらないように変えていることに、ちいさな感動すら覚える。遠目ではわからない。過去と未来、時空のゆがみのなかにこそ、日常がある。
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