【随筆】噺家修行聖夜賑
小朝兄さんが──は、先の師匠四代目三木助の口癖だった。口癖というよりは、藝人というか、落語家としての指針としているところが多かった気がするので、自ずとそんなはなしになったのだと思う。四代目自身が、三代目師匠とおかみさん、おねえさん、小朝師匠、そして五代目柳家小さんで出来ていたと言っても、あながち大袈裟でもあるまい。
小朝兄さんがね、二ツ目の頃にさ、三木助さん落語家がクリスマスに働いているようじゃいけないよ。って言うんだよ。
と、師匠三木助があの鼻にかかる声でそう言うと、19歳のわたしに12月24日、25日はウチに来なくていいと伝えた。かくして腹のなかなからの江戸っ子の落語家に入門した一年目は、期せずしてクリスマス休暇と相成った。やっぱり、お洒落な師匠だな、と、わが師ながら、そう想った。
入門翌年。
平成11年だから、1999年。
その年は目白の大師匠、柳家小さん邸の新年会から幕があき、四月だったか、三木助の鈴本演芸場でのトリ、三代目師匠の『芝浜』に挑む興行から、わたくしこと、当時の桂六久助も正式に楽屋入りすることになる。正式に、というのはその当時、小朝師匠肝入りの寄席での興行がすくなくなく、見習いとして随分と寄席にも入れていただき、高座の経験もあった。なので楽屋入りにそこまで感慨がなく、はっきりと覚えていないのは、すこし寂しいところだ。
その年、平成11年のクリスマス。
わたしは、たしか、日比谷にいた。
師匠桂三木助も春風亭小朝師匠も。
入門以来、ある意味兄弟弟子のようにあらゆることを教えてくださった小朝師のお弟子さんたち、あーちゃん兄さんもえびー太兄さんもアリス姉さんも、みんなで日比谷での落語会にいた。
小朝師の事務所、春々堂の仕事だった。
二ヶ月前に20歳になったわたしは、クリスマスは仕事しちゃいけないんじゃなかったのかな?と、純粋な気持ちで素直にそう思っていた。
帰りのクルマ。わたしは師匠のアルファロメオ164のハンドルを握り、三木助はその年の疲れを抱えたように、後部座席に座っていた。車窓を流れるのは、12月、クリスマスの街並み。
小朝兄さんが──は、先の師匠四代目三木助の口癖だった。
小朝兄さんが、クリスマスに働いているようじゃいけないよ。って言ってたのにな…。
誰に言うわけでもなく、外を見ながら三木助がつぶやいた。