映画「ルックバック」を観て思い出したこと
久しぶりに映画を観に行った水曜日。めずらしく20時からはじまるレイトショー。観たのは映画「ルックバック」。Instagramで何度か観た人の感想を目にしていて、観てみたいな〜とぼんやり思っていた。当日の朝、急に思い立ち、映画を見に行こうよと夫を誘った。
鑑賞後、じわじわ込み上げるものがあり、感想がなかなか言葉にできなかった。いい映画だったね。映画ってやっぱりいいよね。夜に映画みるのもなかなかいいね。ふたりでそんな言葉を交わしながら帰路についた。
とてもよかった。どこに心震えたのだろう、なにをすばらしいと思ったのだろうとしばらく思い返していた。
言葉にしにくいと思った理由は、おそらく、自分自身と重なる部分がたくさんあったから。
自分の記憶のなかに残る幼い頃のプライドとか見栄を張ってついた嘘とか負けたくないと思っていた感情とか。それらは、懐かしくもあり、恥ずかしくて忘れたくもある、ほろ苦い感情。それをぼんやり思い出していた。
褒められて、嬉しくて、鼻が高くて。それでがんばってしまう。そんなこと、自分のこども時代にもあったな〜と、登場人物と自分をときどき重ね合わせながら見ていた。みんなにもあるのだろうか。
小学生の頃、私は勉強も運動も音楽もそこそこできた。小学2年生のころ、転入生の女の子がやってきた。すぐに仲良くなって、高学年になると親友と思うほどにまでなった。その子は勉強も運動も音楽もできた。おまけにかわいかった。負けたくなくて勉強も運動もピアノも一生懸命やった。思い返すとすごく負けず嫌い。がんばっていたな。でもその子はなんだか私みたいに汗だくになってなくて、器用で穏やかで大人に見えた。でもきっと裏で努力していたのだと思う。
上手な人が羨ましくて、すごいなあと尊敬して、負けたくなくて、がんばりたくてがんばってみてもたどり着けなくて、自分なんて並だなとあきらめたことってたくさんあるように思う。徐々にがんばらずに、諦めることも増えていく。負けたくないという強い感情もいつのまにかどこかに置いてきた。
それでもいま、大人になって、そのためなら努力したいと思うことがあるのなら、くやしいと思うことがあるなら、それは「ほんとうのこと」なんだと思う。それはどんなかたちであれ、続けられたらいいね。
いつまでたっても、くやしいとか、もっととか、見栄とか、誰かと比べる気持ちとか、大人になってもなくならない。なくならないまま一生を過ごすのだと思うけれど、そういう気持ちを抱ける自分であることは、なにかをがんばりたい気持ちがある自分とイコールだから、いいじゃんと思いながら、未熟で凸凹の自分をまるっと受け入れて、自分は自分らしくせっせと歩むしかない。がんばれ。
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すごいものをすごいとまっすぐ言える人の純粋な心は美しい。そういう人の言葉って濁りがなくて、わかる。夫はどちらかというと、そういう人だなと思う。本人は否定するかもしれないが。ほんとうにすごいと思うことはすごいねと言える人。滅多に言わないけれど。きっと誰かと競争することになったとしても、自分にはほんとうに叶わないよと、素直に降参し、自分は自分のいる場所で励もうとする人。
一方で、不安もプレッシャーもすべて飲み込んでお腹をぱんぱんに膨らませて、プライドを持って生きる人の強さも美しいと思う。そんな人はきっと誰かにもらう心からの「すごいね」というたった一言が救いとなる。藤野が京本にもらったみたいな。そんな言葉を届けられる人になりたいなあ。
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音楽も、映画も、絵も、物語も。人が心を込めて真剣に生み出したものは心を満たす。最近、そういうものに触れる機会がいくつかあって嬉しい。
ああ映画見れてよかったな〜と、自分の朝の思いつきを褒め称えながら、サントラをループして過ごす今日この頃。