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138億年の時間の中で☆第46話☆花の名前に

毒親とか親ガチャって誰が言い出したのか分からないけど、こういったスラングって本当に上手く表現しているなあって思う。誰もが親や養育者の影響を大きく受けて育っているのだけど、自分で選ぶ余地は一切ない。厄介な事に、いい思い出は忘れてしまいがちなのに、辛い出来事はいつまでも残ってしまうんだから。

子育てしてると親に感謝するようになるよね、なんて言ってたのは息子の幼稚園のママさん。そうだね、と心こもらない棒読みで返した事もよく覚えています。

毒親なんかじゃなかった。食事もつくってくれたし、必要物資もお金も出してくれた。十分恵まれていたはず。だから、母が苦手なんです、なんて言ってはいけないよね。口にした瞬間、惨めさでいっぱいになっちゃうんだから。

夫婦間の信頼関係はあったように見えました。お金持ちでもないけど貧乏でもない。それなのに母はいつもしんどそうで、いつ怒り出すかわからない。いつのまにか、母が喜ぶ選択をくりかえしていた私。反抗期なんてない。「なんちゃっていい子」の出来上がり。私が好きなモノやしたい事なんて口に出したら、怒らせちゃうからガマン、ガマン。母が抱えていた苦悩や荷物がなんだったのか、子ども心にも分かっちゃうものだから、親子なんて本当にめんどくさい。友達親子??意味不明。地方転勤がある仕事を選んだのも早く実家を出たかったから。逃れられたと思ったのに、いざ自分が親になったらあんなに嫌がっていた母と同じような振る舞いをしている自分に気づいた時の、因果の連鎖に軽く絶望。それでも、母は毒親なんかじゃない、自分は不幸なんかじゃない、いい年して自分の不甲斐なさを親のせいにするなんてダサすぎる、なんて自分に言い聞かせながら。

長男も次男も、そんな私に、「母から逃げるな、向き合え」と間接的にメッセージをくれる存在でした。母から受けた傷は些細なものだったけど、放っておけば化膿する。その影響をうけるのは息子たちだから。数年かけて色んなサポートを受け、母との葛藤に向き合ったことも、今、私が笑顔でご機嫌にすごせるようになった経緯の一つ。

「その花の名前なに?」とお花屋さんで聞いてくる長男に、「それはね・・・」と答えながら、ふと思い出しました。そうだった。私も母に同じことを聞いていたんだった。まだ葛藤を抱えるようになる前の、もっと小さかった頃。夕方、駅からの道。買い物の荷物を重そうに、しんどそうに両手に持ちながら歩いていた母の隣で、幼い私は花の名前を聞いていたんだった。150センチもない小柄な母が、1キロ先のスーパーに5人分の食材をもって、妹がちょろちょろと動きまわっていて。夕日がつくるオレンジ色の景色。春先の土手に咲く、とても小さな、鮮やかな青い花の名前を、私が長男に花の名前を教えるように、母も教えてくれていたんだ。ボソッと、疲れた声で「それはね・・・」と。母と同じ言葉を私は長男に使っていたのかはわからないけど、あの瞬間、花の名前を聞いてくる君はかわいいなと感じる、愛情のようなものは確かにあったのかもしれない。私が長男を愛するように、私は愛されていた。色んなモノの中に隠されていて、見えなくなっていた小さな記憶が、40年以上経過してから、やっと見つかりました。

今は80を超えた母。元気だけど耳が遠くなったし、以前のような強い自己主張をすることも減ってきました。話をしていても、私が主導権を握るようになりました。これから先も母にイライラすることはあるだろうけど、そんな時は思い出してみようと思います。母が教えてくれた花の名前はオオイヌノフグリ。花言葉は、信頼、忠実、清らか。

 

 

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