インターネット老人会 その1
どうも。
猿人全開ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
サンシャインゴリラ🦍です。
ゆるい趣味としてインターネットの歴史をまとめていきたいという話が発足し、自分なりにまとめていこうと筆を走らせているところです。
ていうか同じこと考えるヒトっているわけで。
先駆者がやっているので年表のコピぺを終わらせた。
コレを軸にして自分がかけることを書いていったらいいのかなって考えている。自分が肉付けをするとなればどうだろう。
自分の見聞きしていたものって結構限定的なものだから語るにしても限界があるから、集合知に頼るほかはない。
以前NHKで「平成ネット史(仮)」の放映をしていた。
近いうちに観る予定ではいる。観た人の書き込みを見れば、ネットで使うマシンそのものやネットインフラの進化、掲示板等のPFの流行り廃り、最後にネット文化について3本立てで紹介していた。今回のnoteも、3本のカテゴリになぞらえて自分も書いていくことにする。だってそのほうが伝わりやすいとおもうからね。
①ハードとネット環境
話を戻すと10代の多感な時期を過ごしてきたのが2000年だった。その年代を過ごしてきた81年から96年生まれミレニアム世代とも呼ばれ、ネット普及前の時代に生まれた最後の世代で、幼少期から青年期にIT革命を経験したデジタルネイティブの最初の世代でもある。
よく考えたら90年代後半でパソコン買ってもらえるって、両親頑張ったんだなあって今思いました。児童館にあったWindows3.1を見て、欲しいと言ったら、なぜかゲームやおもちゃをねだる時と全然違うリアクションを両親が取った。ゲームと違うし値段が高いからすぐに買ってもらいたいという期待はしていなかった。「今度ね!」と言いつつ父ゴリが母ゴリと相談して、いつか買おうって話をしたのを鮮明に覚えている。その“いつか”って言うのは話を振って半年経ったくらいの話で家に届いたのが当時7歳だった。
上の画像は当時のパソコンです。スペック見たらストレージが4.3GBとかなにこれワロス。スマホ以下。お値段メーカー希望36万円。7がけして店頭販売で25万円で売られていたPCだった。当時は金を稼ぐ事がどれほど苦労するものなのか知る由もなかったので、ありがたみというのがわかった。
家族で使うパソコンなのに、両親はワードも表計算もやらずに兄弟だけが使っていた。俺のゴリ生(半生)に大きく影響した諸悪の根源であり諸善の根源である。
99年から01年まではダイヤルアップ回線を使ってネットを繋げていた為、4万円ほどの電話代の請求がきたり、家に電話をしても繋がらなくて両親にとても迷惑と心配をかけました。
そんな中、当時小学生の俺は何をしていたかというと、ドラネットに繋げて勉強したり、小学校の学年上の優しいオタク兄ちゃんに教えてもらったフラッシュを家で見てたり、小学館のページでゲーム、チャットもしまくってた。それでしばらくネットやめろって言われてファミコンやったりするけど、goo検索で「FF3 裏技」「ポケモン赤 裏技 セレクトバグ」とか調べるわけだ。延々と攻略サイトや裏技とかずーっと見るわけで、自分の持ってないゲームのレビューとか見たりMIDIサイト巡回するともう歯止めが利かねえ利かねえ。夕方4時から夜の8時までぶっ通しでネットするからまた家の電話がつながらないと怒られるというループ現象が起きたため、仕方なく01年にADSLを導入した。というのがネット環境的視点で見た歴史である。
②掲示板、チャット、コミュニケーションPF 00年度
この話に入る前にネチケットの話からしておこう。ローマ字を打つのは英会話の先生から教えてもらい、メールの送り方は澤穂希似の姉ゴリラから教えてもらった。姉ちゃんの友達にメールを送って実戦練習。ネットコンテンツは基本小学館のサイトを閲覧することから始まった。自分は小学館のホームページを見てネチケットというものを覚えた。漫画形式のネチケット漫画が掲載されていたものを読んだけど、インパクト強かったなあ。概要を話すと、のび太がドラえもんにPC買ってもらって、ドラえもんに色々教えてもらうというストーリー。メールの送り方とか開いちゃいけない類のメールがどんなものか、ドラえもんが面倒見よく教えてくれる。こういう漫画に出てくるのび太の飲み込みの速さは異常。普段は知恵遅れ全開なのにこのギャップは凄い。だからこそ読み手はツッコミ入れながら理解できるのか。某オラサイトのフラッシュのように、◯ラえもんがネカマを演じて◯び太を騙すという、獅子の子落としのようなストーリーではなかった。
小学館のHPに掲載された漫画で覚えている内容は、のび太が無料のサッカーゲーム(ウイルス入り)をダウンロードしてパソコンが物故われてドラえもんに泣きついたり、ジャイアンとのび太が掲示板でレスバトルして次の日学校でジャイアンにボコボコにされる寸前までいった展開(要検証)とか、そんな1話完結型の読み切り形式でストーリーは進んでいった。今見れるもんならもう一度見てみたいわ、それこそネット史に載せてもいいんじゃないか。
ネットコンテンツの話に戻りましょうか。
昔チャットにハマっていた。その辺で会話する文章とかルール的なのを覚えるようになった。残念ながら自分以外のユーザーの年齢が高い故に「子供のフリしたおっさん、もしくは年齢の割に振る舞いがガキっぽい奴」みたいな印象を持たれてしまうことが多々あった。それでも実年齢だけは嘘偽りなく話した。
今考えたら危なっかしい、夜の8時ごろ。チャットルームにログインして10分くらい軽くゲームの話して自分のことについて質問をされた。自分の自己紹介的な感じで9歳東京に住んでます的な書き込みをしたところ、まず疑われ、俺が事実だといっても聞かないし、兄のお下がりでもらったゲームしてるからその話をしても、いやそれは世代的に合わないし演技だろとツッコミを浴びせられた。最終的に「お前うそ臭いから、俺に電話して小学生であることを証明してみろ」とチャットに書き込まれ、電話番号を載せてもらって電話をかけたことがあった。なんか俺のレベルに合わせて言葉選びして書いてくれてる感あったけど向こう側も内心どういう気持ちだったのかな、冗談半分だったろうな。
3人くらいいるチャットルームで番号を書いてもらって、自分はメモして書き込みを消してもらった、教えてくれた番号は045から始まった。すぐにgoo検索の窓を開いて[045 電話番号]と打って出てきた引越し屋さんの電話番号。住所が神奈川県横浜市と出たので、この番号と同じなら大丈夫だなという確認をした。
「確認」なぜこの行為をしたかというと、両親の電話にかかってくるワン切り番号が「03」から始まるので、その対策として検索した。折り返したら接続料でべらぼうな金を請求されることになる番号は03から始まるという話を聞いていたので、大した裏どりもせずに電話をかけた。03だけじゃない、0990から始まる番号もそうだ。
もしかしたら電話をかけた側の俺に対して高額請求が来る可能性があるのでは。という考えも頭にあっただけに、凄くためらった。そして回線を切って電話をかけた。
実際電話してみたら。電話口から女みたいなさかなクンのような声が聞こえた。
俺「もしもし(変声期前ボイス)」
女「もしもし?!マジかよwwww本当に小学生てかなんで落ちた(チャットから退室)の?」(ずっと笑っている)
俺「あのーそっちが(電話しろって)書いたから電話したんじゃん、こっちは知らない人に電話してるからなんか怖いよ、僕の家ネット中は電話できないの(ダイヤルアップ回線のため)」
女「ハイハイなるほどね、てゆーかMステの音大きくない?」
俺「わざと、電話してるのばれたら親が怪しむから、じゃー切るね」
この1分間、すげー怖かった。またインターネットに接続をし直して、チャットは俺の変声期前ボイスの話で持ちきりになり、ブッチホンの生みの親、小渕元総理の話、ポケモン金銀とノストラダムスの予言を話のネタにしてチャットは何事もなかったように続いていった。金曜日の夜の出来事だった。
最後に「公文の宿題やるから落ちるわ」と書き込みを残して俺はログアウトした。その後誰もいなくなったチャットルームを覗いてみたら、シャ乱Qの話題になってた。
リア厨っていうスラングは00年の時点で知らなかったし、俺に向かって使ってくるヒトもいなかったから、昔出入りしてたところは雰囲気的にゆるかったんだなあと思いました。
③ネット文化
言うほど文化とかブームって00年代に感じることってなかった。②のチャットの中に凝縮されてしまっている。初音ミクとかそんなのなかったからね。
ネットの文化というか、ネタを紹介している漫画があったので紹介すると、当時のビックコミックオリジナルで電脳炎とかいう4コマ漫画が載ってた。父ゴリラが買ってくるから盗み読みしていた。IT音痴のおじさんに若手社員が色々教えてやったりするギャグ漫画である。
このコマ覚えてて見つけた時は小躍りしましたよ。
続きは後日書きますので、宜しくお願いします。
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