四季折々の海老
金木犀の香り、動かないクーラー、あの娘が着なくなったワンピース。秋を感じる現象や事象は人それぞれで。秋の訪れはいつも突然で。あんなに嫌われた残暑はいつも突然いなくなる。こんな急には違うじゃんと、住むところが違えば各々の方言で、各々のリズムで、好きに寂しさをぶつける僕たちは。いつだって勝手でわがままだ。
僕が明確に季節が変わったのを感じる時は
「春の海老、夏の海老、秋の海老、冬の海老、四季折々の海老エビえびでーす」
のぶきよがこのギャグをやる時だ。このギャグは季節の変わり目が1番ウケる。
「あぁ、もう今は秋の海老なんだな」
言わずもがな、各々感じていた季節のはじまりを、客席で共感の肩を組んだ時、微笑みが爆発する。
こうなったらもう、季節は365個あっていい。微笑みの日々が一年中続けばいい。
僕らは爆笑するから、つまらない。暑いから寒い。寒いから暑い。穏やかにずっと平穏が続けばいい。でも引き換えに、その瞬間にギャグはこの世から無くなるかもしれない。文化は、粒だった日常に付随する。のぶきよもギャグをやめるだろう。僕らも手を叩いて笑うことはないだろう。そんなの寂しいじゃないか。滑ってもいいから、いつかの大爆笑を待とう。冬に春を待つように。季節はやっぱり4つでいい。
ふと、海老という字を見直したら、漢字で「海の老い」と書く。こんなに美味しくてみんなに愛されてるのに、ちょっとかわいそすぎないか。
海月は、くらげ。海星は、ひとで。
こんなにもロマンチックに溢れてるのに、海に老いで海老はひどすぎる。
逆に海に若いはなんだろうと調べたら、海若。かいじゃく。海の神。と出た。
海の神が年取った姿が海老なのか。そう思うと、とたんに物語がはじまる。海老の子どもがが神様。小エビは神様。だとしたらカップヌードルの小エビは?あの謎肉の隣の謎海老は?そうか、神様だったんだ。僕らは神様を食べていた。呆れるほどに昔から、コスパ良く神様を食べていた。
物語は都合よく微笑む方へ。想像の世界では許してくれよ。しかし、海に豚でイルカも酷いけど、それ言っちゃうと豚にも悪いよな。豚は何も悪くない。美しい獣で、ブタと呼ぼう。それも獣に悪いか。
昨日はやさしいズタイのpresentsライブ
「踏ませられたらこんなに嬉しいんだ」があった。バビロンおーちゃんに60分韻を踏んでもらって、1番気持ちいい韻を踏ませたやつが勝ち。もはや踏ませたというより、1番嬉しいやつが勝ち。だったらもう出演者のみんな、この時点でもう勝ち確ライブなのだ。
タイの庭の1コーナーから生まれたこのライブ。普段からおーちゃんのダジャレの才能は本当に神の領域に達してる。北海道のリアルストリートから生まれた、本物のファニーラッパー。目を離せば永遠になにか喋り続けてるし、永遠に韻を踏む。何を言ってるか周りも本人もわからない瞬間も多々あり、タイが「3軒目の酒場のおじさん」とおーちゃんを紹介した。的を射すぎて流石にこれはクリティカル。しかし、実のおーちゃんは酒がめちゃくちゃ弱く、昔好きな娘を口説くためデートに誘い、1軒目のバーのカウンターで白目剥いて椅子ごと倒れたことがある。なんて可愛いやつだ。
そんなおーちゃんは僕ら16期の中でもとびきり早くに結婚して、子を持つ父親であり。もうその息子ちゃんも保育園の年長さんだ。保育園におーちゃんが迎えにいくと、それはもうアンパンマンが来たかの如く園児たちに大人気らしい。おーちゃんが、俊敏に動きふざけ、Tシャツをめくりお腹を出した時。園が揺れる。雄叫びのような大爆笑。信じられない子どもたちの拍手笑いに、息子ちゃんも鼻高々。えっへん!とはっきり顔に書いてあるほどに、それは誇らしくおーちゃんを見てるらしい。
この話に僕は泣いた。こんな美しい物語があっていいのか。
売れてる売れてないとか関係ない。お金がある、知名度がある、そういうことじゃねえんだよ。笑わせるんだよ。家族を、息子を、君たちを。
「僕のパパはスーパーヒーロー」
今すぐ絵本を出版してくれ。話は僕が書く、絵は蛙亭の中野くんか、マユリカ中谷に描いてもらおう。全ての家庭、図書館に置いて欲しい。
大爆笑した後に子どもたちは、おーちゃんに指差して叫ぶ。せーの、
「デブーーーー!!!!!!」
子どもは残酷だ。そして僕らはピエロだ。
韻踏みライブのオープニング、人前はやっぱ緊張すると言うおーちゃんに、いつもの感じでリラックスして韻踏めるように、先ほどのエピソードトークの後、じゃあ1番ウケる保育園の感じでやろうという流れに。今から会場のお客さんはみんな5歳の保育園児、園にスーパーヒーローが来たと思って、みんなでせーの!でデブと叫んでみよう。
せーのっ!!!!!
誰も叫ばなかった。
誰もデブと叫ばない、永遠の静寂。張り詰める空気、加速する緊張、爆発する苦笑い。
そりゃそうだ。大人の倫理観をなめるなよ。僕たちは大人だ。言っていいことと、悪いことがある。それが今必要であってもた。必要悪?いらないんだよそんなのは。
優しさだけがあればいい。子どもたちもわかってるんだ。このおじさんには言ってもいい。他の子や、友達には言っちゃダメだけど、なんか、このおじさんには言ってもよさそう。なんかこの人はおっきい、包んでくれる、全てを受け止めてくれる。海だ。山だ。大いなる自然の前で人は何故だか叫びたくなるように。頭ではわかっていなくても、細胞が叫んでる。子どもたちは愛を知って、愛を叫んだんだ。
まじごめん、おーちゃん。
出演者の僕たちはせーので、謝罪で韻を踏んだ。
しかしなんのその、その後の流石の大盛り上がり。才能の爆発。唯一無二。めちゃくちゃ面白くて、馬鹿みたいに笑わせてもらった。いつかあの日生まれた韻たちをビートに乗せ、歌にして、子どもたちに踊ってほしい。あの時の僕らがV6のWAになって踊ろう、ブラックビスケッツのタイミングで踊ったように、運動会で踊り狂ってほしい。
音楽がかかる。ビートが鳴る。おーちゃんが出てくる。歓声がなる。大人も子どもたちもみんな揃って叫ぶ。
せーのっ!
「ラブ!!!!!!!!!!!!!!!!😚❤️🔥」
毎日書くと決めた2日目にはもう滞るという所業に、頭がクラクラします。「明日の自分を信じるな」脳みそに直接彫りたいです。ただもう毎日いつ寝ていつ起きてるかがバラバラすぎて、僕の日付変更線はこのnoteの更新時とします。させてください。
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そしてここからは日々の写真や、深く想ったこと、心臓めがけて。
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