根性論
ようやくそんなモノがそういえば昔からあるなと認識し始められた高度経済成長期が産んだ副産物のような俗語。
生産性の向上を目指す事や仕事に携わっている個人間、または多数へのスピーチなど対人間同士のやり取りの中でよくある業務的な事に対するいわゆる”根性論”の一方的な押し付けに対しては反対派であるけれど。(人間の注意力に依存したシステムは必ず崩壊する故に、引用)
相反する心理として、僕のパーソナリティーの中に内包する部分があるのも事実と云える。
人は対する相手個人の思想や思考の中で、自身を鼓舞するための自身への叱咤や合理性に富んだ、あるいは、確信めいたストイックなまでの所作を見せつけられる事によって打ちのめされることがある。
このような経緯は僕自身の体験として実際にある。
僕のパーソナルな部分でのネガティブな嫉妬のような感情がもはや愛情と敬意に変わった日を鮮明に覚えてる。
深夜までに及ぶ残業で疲れ果てた頃、車のFMラジオから御本人のコメント付きで流れてきた或る有名アーティストの曲だ。 2000年の夏の出来事。
まさにニーチェの言葉にあるようにネガティブな感情を共なうようなきわどい勝利ではなく圧倒的な差による勝利に対する完敗なのだ。
まさに、音楽の偉大な力によって救われた瞬間だ。
つまり、よく誰もが抱く”今に見てろよ”というポシティブな原動力は有効であると言いたい。
これがネガティブに歪んだ場合は犯罪にまで発展する可能性もあるので手遅れになる前に心理カウンセリングや精神科を受診する事を願う。