ジャイ子の時代がやってきた
世代を継いで、愛され続ける『ドラえもん』。
私は、ドラえもんドンピシャ世代です。
どれぐらいドンピシャかと言うと、テレビアニメ版ドラえもんが始まって、大山のぶ代の声に違和感を感じるぐらいの世代です。つまり、雑誌連載が始まった時から読み始めた世代なので、アニメ版で登場人物達の声を聞いた時、自分がイメージしていた声と違って感じたのです。
『ドラえもん』の登場人物の誰に似ていますか?
「うちの部長は、ジャイアンみたい」
「あいつは、本当にスネ夫のようにずるいやつだ」
「お前は、のび太並みの怠け者やな」などなど。
こんな会話で、ドラえもんの登場人物と周囲の人を、当てはめてみたりしたことありますよね。
大きくカテゴライズすると、大抵は主要人物の誰かとは遠からず当てはまるので、ドラえもんの人物造形は本当によく出来ています。(ちなみに、ドラえもん自体とよく似た人とは会ったことがありません。やはり、ドラえもんはファンタジーそのものなのでしょうね。)
他力本願のダメ男、のび太。
オレ様なガキ大将、ジャイアン。
権力に取入るのが得意なナンバー2、スネ夫。
可愛くて優しい優等生、しずかちゃん。
この4人に、ドラえもんを加えた5人を中心に読み切りエピソードが展開されますが、他にも名バイプレイヤー達がいます。
ドラミちゃん、出来杉君、のび太の両親や主要人物の家族達など、魅力的なキャラクターが脇を固めています。
ジャイアンの妹、ジャイ子
そんな個性豊かな登場人物の中で、私が一番親近感を感じていたのは、ジャイアンの妹のジャイ子です。
ジャイ子は、連載1回目から登場しています。
未来からやってきた、のび太の子孫であるセワシ君が、のび太の未来はお先真っ暗であり、未来に生きるセワシ君にも悪影響があるので、過去を修正するため、ドラえもんを連れてやってきます。
真っ暗な未来というのは、のび太の結婚です。のび太は、憧れのしずかちゃんとの結婚を夢想していましたが、実際にはジャイ子と結婚し、子沢山で貧乏な未来を見せられます。
こんな未来は嫌だと泣き叫ぶのび太に、セワシ君はドラえもんを世話役として当てがい、しずかちゃんと結婚できる未来に修正しようと計画するところから、物語が始まります。
どうでしょう?
今、改めて読んでみると、色々問題が多い描写だとお気づきでしょうか。結婚相手(女)で、男の運命が決まるという発想自体、今や完全にアウトであり、子供向けのマンガとして、このような価値観に基づいて描かれているのは、作品が大好きなだけに、残念です。
ドラえもんは、時代を超越する傑作ではありますが、女性の扱われ方においては首をかしげざるを得ない箇所があります。
大問題のしずかちゃん入浴シーン
特に、しずかちゃんの扱われ方はひどく、チャイルド・ポルノとも受け取れるグロテスクな描写まであります。
しずかちゃんは、容姿が可愛くて性格も良く、成績優秀。そして、なぜかお風呂が大好きです。
入浴シーンは、結構な頻度で登場します。のび太があからさまに風呂場を覗き見しているエピソードもあります。
小学生の女の子の、膨らみかけている胸部の描写が生々しく、のび太がデレデレと欲情して描かれているのも、子供向けのマンガとしては明らかに不適切です。
怠け者でスケベでどうしようもないダメ男だけど、どこか憎めず優しさを内に秘めた人物として描かれているのび太ですが、個人的には全く共感出来ません。
ドラえもんに限らず、現在の視点から過去の作品を読むと、無自覚とはいえ、うっすらとジェンダー意識の欠如が垣間見えてしまいます。これは時代性もあるので仕方のないことではありますが、時間を経たときに作品自体のクオリティを損ないかねません。
ジャイ子登場
ところがです。
しずかちゃんという男性にとって都合の良い女性が出てくる一方で、ジャイ子というキャラクターも登場します。
ジャイ子は連載一回目では、ジャイアンそっくりで意地悪な女の子として登場していたのに、連載が進むにつれて、キャラクターが変化していきます。
いつしかベレー帽をかぶって一人で歩いている女の子として描かれるようになりました。いつも一人。マンガ家を目指していて、必ずスケッチブックを小脇に抱えています。ジャイ子のトレードマークは、ベレー帽とスケッチブックです。
兄の声楽の才能と同じく、マンガの才能はあまりないようです。のび太がジャイ子のマンガをせせら笑っているシーンが出てきます(のび太、最低です)。
話が逸れますが、剛田兄妹は酒屋の子供にもかかわらず、なぜかアート思考なのが、興味深いのです。
兄のジャイアンは、歌手を目指し、妹はマンガ家です。
ジャイアンが自らのステージを、「コンサート」でも「ライブ」でもなく、「リサイタル」と銘打っている点も、ジャイアンの文化レベルの高さ(?)を物語っています。
ジャイ子は、いつも淡々とマンガ制作に専念していますが、作品を侮辱されるとワンワン泣き、兄ジャイアンが妹の汚名を晴らすというのが、王道パターンです。
妹想いのジャイアンは、ジャイ子が自信を失うと叱咤激励し、販促活動もしてくれます。さらに家業も手伝う、実はめっちゃいいヤツです。
(いつも家でゴロゴロ寝転がって、お母さんとドラえもんに世話をさせているのび太とは大違い。)
ジャイ子が生きやすい時代へ
私は、昔からジャイ子が大好きです。ジャイ子は、自立していて、誰ともつるみません。強い家族愛に下支えされているせいもあるでしょうが、友達付き合いに興味がなく、日夜、作品制作に励んでいます。芯の強い人物ですが、こと作品に関しては、自信がなく、すぐ才能がないと落ち込みます。
藤子・F・不二雄は、しずかちゃんを描く傍らで、なぜジャイ子のような深みのある女性キャラクターを創造したのでしょうか?
ジャイ子は、リスペクトを込めて描かれています。連載初期の揶揄的表現は、後には一切ありません。むしろ、マンガ家でベレー帽をかぶった人物設定は、手塚治虫へのオマージュとも、さらには藤子・F・不二雄自身やトキワ荘の仲間達を投影した人物なのではとも感じるのは、深読みし過ぎでしょうか。マンガ家の、苦しみと葛藤さえも背負わせたキャラクターになっているからです。
創作への情熱と、評価への自信の無さを併せ持つ、リアルなマンガ家、ジャイ子をクリエイトした藤子・F・不二雄は、やはり天才。
しずかちゃんのセクハラ描写を大目にみたくなるほどに、等身大で人間臭いキャラクターを、ジャイ子という女の子に吹き込んだのです。
しずかちゃんのように成績優秀でも、女性は結婚して家庭に入るのが一般的であった時代に、ジャイ子は、才能の担保もなく、クリエーターになろうと努力しています。
大人になったジャイ子を想像すると、たとえマンガ家になっていなかったとしても、必ずやクリエイティブな職業に従事しているに違いありません。
(補足ですが、初期のジャイ子だって、子供を6人も生んでいる立派なお母さんであり、のび太に侮辱される筋合いなどありません。)
こうして、子供の頃、ドラえもんを愛読していた私は、めでたくジャイ子のように、マイペースな大人になりました。
自分の好きな道に進み、時に自信を失って落ち込んでも、惜しみなく応援してくれる家族に支えられています。
ガストのお手伝いロボット
批判する点はあれど、やはりドラえもんは時代を先駆けた大傑作。
マルチバース(並行宇宙)だって、ドラえもんの読者にとっては、とっくの昔から馴染んでいる概念です。
ガストで働いてる猫型ロボットを見ていたら、ドラえもんを連想し、しずかちゃんとジャイ子のジェンダー論にまで発展し、こんな内容になりました。
ドラえもんは全巻持っていたのに、引越しのたびに、部分的になくなっているので、また買いたそうと思います。
藤子・F・不二雄作品では、『21エモン』も激推しです。
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