「永遠が通り過ぎていく」を観た
シネマスコーレに「永遠が通り過ぎていく」を観に行った。映画の内容は自分なりの解釈をしながら見ることが出来た。強く生きられない人への優しさが沁み出ていた。監督の言葉を大事にしているところが好きなので、それもすごく伝わってきて良かった。
舞台挨拶で話していた中に、いつくか印象的な話があった。
「誰かの見ている景色を見ることは出来ない。」
自分の見ている景色、それを伝える手段が映画だったと話していた。それを見ることができたのは嬉しく感じた。
「感情をそのまま伝えることは難しい。」
これは自分も思ったことがあった。感情や言いたいことがしっかり伝わるかどうか。どんな気持ちなのか、どれだけの想い、熱量があるのか。話し手と受取手の関係性やそれぞれの言葉選び、理解力にもよるとは思うけれど。前から思っていたのは、言葉にした時点でもうそれは自分の身体の外にある。言葉にしようと、自分の頭によって、再構築されたものになっていると思う。なので、それを受け取った人に、その温度感が完璧に伝わるとは思えない。だからこそ、大事な人、物と関わる時には、想像力を働かせて、少しでも、理解したいし、伝えていきたい。
「大衆映画は、こういう感情、感想を抱いてほしいというゴールが予め決められていることが多い。」
確かに、泣けるとか笑えるとか、衝撃の展開とか、分かりやすく魅力を伝えている映画が多い。宣伝のために、そういう部分がピックアップされているというのも大きいとは思うけれど。
対して、この映画には感想の正解がないと話していた。自由に自分なりに思ったり、考えたりすることが出来る。そんな映画に出会えて良かった。
日常生活も、正解とかマニュアルとか生きる指針みたいなものがあって、それに合わせる形で生きていることが多いと思う。決断とかも人に任せてしまうこともよくある。それが一番楽だからね。
色々と考えることが出来て良かった。次の作品が楽しみだ。
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