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それが「嘘」だと、気づいたら/三月のライオン

【映画「三月のライオン」感想】

「三月のライオン」という映画を見つけたとき、私はいつものようにアップリンク吉祥寺の近日公開作品のページをスクロールしていた。目に止まった淡いピンクの背景のポスターには、うつろな目をしてかじりかけのアイスの棒をくわえた黒髪ボブの少女が写っている。左側に書かれているキャッチコピーはこう。

愛が動機なら
やってはいけないことなんて
なにひとつ、ない


うわあ、ものすごく、パンチのあることば。日常生活の中で自分が意識的に「通常」であるとき、こんなようなことばを目にしたり耳にしたりしたら、ちょっと引いてしまいそうになると思う。でも作品を楽しむなら、私はこういう、いい意味で狂ってるようなもの、とても好きだ。なんだろう、うまく言えないけど、人間らしい気がするのです。欲望に対して純粋に、激しく向かっていく感じが。

映画「三月のライオン」というと多くの人は、漫画の原作を実写化した神木隆之介主演の「3月のライオン」を思い浮かべるのではないかと思う。私が観た映画はそれではなく、1992年に公開された矢崎仁司監督の「三月のライオン」のデジタルリマスター版。以下、「三月のライオン」のホームページに載っていたあらすじを引用。最後の二文が好き。

兄と妹がいた。

妹は兄をとても愛していた。

いつか、兄の恋人になりたいと、心に願っていた。

ある日、兄が記憶を失った。

妹は、兄に恋人だと偽り、病院から連れ出した。

記憶喪失の兄は、恋人だという女と一緒に暮らし始めた。

そして、兄は恋人を愛した。

恋人の名はアイス。

氷の季節と花の季節の間に三月がある。

三月は、嵐の季節。



兄を愛した妹、「アイス」が魅力的だった。おそらく、バブル崩壊後の東京が舞台で、壊されていく建物の色あせた映像に彼女のハイヒールの赤さがよく映えた。彼女はいつも(本当にいつも)、ピンクのクーラーボックスを肩から下げて歩いている。それもけっこうな大きさの、である。「絶対邪魔でしょ!」と何度か突っ込みたくなる。そのクーラーボックスが、見るたびに私も欲しくなるくらい、かわいい。薄すぎず、濃すぎずのピンクに白やら何やら、いろんな色の絵具をペタペタと幅の広い筆で塗りたくったような。彼女はその中に、好物であるアイスキャンディーはもちろん、売春相手からもらったお金も入れる。中からドライアイスの煙が出てくる、なんでもバッグである。

彼女は、私には一生出せないような跳ねるような少し高めの声で、でも鼻につく感じは一切せず、9才の女の子がそのまま大きくなったような話し方をする。パンツ見えるんじゃないかってくらいの短いスカートを履いて、リズムよく歩き、いつも自分の感情にまっすぐ素直に行動しているように見えた。私はなんだか、そんな彼女がうらやましくなって、彼女から目が離せなかった。


なんとなくだけれど、予告の映像を事前に観た感じと切ない笛の音のような音楽のせいか、きっとバッドエンドなんだろうな、なんて思っていた。私はあまり、人が死ぬ話は好きじゃない。特にラブストーリーを観たり読んだりしたとき、どちらかが死んでしまう話だったことがわかった瞬間、そういう話って多すぎてちょっと残念な気持ちになる。必ずしも「絶対ハッピーエンド派!」ってわけでもないのだけれど。どっちかが死んで納得いったのは、タイタニックくらい。

もし、兄のハルオが妹の嘘に完全に気付いたとき、ふたりはどうなってしまうのだろうと思いながら観ていた。途中、アイスはハルオに対して、「もし記憶が戻ったら、黙って出てってね。思い出したら、どっか行っちゃってね」と言う。


リップの赤、ハイヒールの赤、風に揺れる髪。建物を壊す球体の音、割れる鏡。前に前にと転びそうになりながら走る、笑わない目。記憶の断片。


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