現代文の偏差値35と60ではどう違うのか?
こんにちは😀
私が高3の時、国語の偏差値が35でした。
古典はそこそこでしたが、現代文だけは一切伸びず、数学や英語のように何かしらの公式があるかと思っていました。
まあ「型」に当てはめたやり方が欲しかったんですね。公式とかあればわかりやすかったのに、それで点数が取れていませんでした。
楽に勉強をしたかったんですね。
自分なりにいろんな方法を考えたものの、なかなか効果的な方法が見つからず、そのまま大学受験に挑みました。
まあ落ちました。
英語と日本史の偏差値60超えでも国語だけがどうしても伸び悩み苦労しました。
そして、浪人した時に出会った先生のおかげで現代文の解き方がわかるようになりました。
それは一文を正しく「考える」ことでした。
こんな単純なことですが、文脈を意識して、筆者のその度その度に言いたいことを分析して、内容をしっかり読むことに専念しました。「考える」といっても、どう考えればいいのか、それは「具体例」「理由」「意図」を読み取り考えることでした。
この結果、私は現代文の偏差値が60になりました。
ここから人生が変わったように、様々な景色が見えるようになりました。
まずは、日本史。今までただの暗記の繰り返しだと思っていたものが、時代背景を知って物事のストーリーを意識するようになりました。日本史というものを、日本の歴史というものを、真に知ることができるようになりました。
これを知ったことで、日本の〇〇についてを考える礎になりました。
次は、英語。今までただ読んで答えるだけでしたが、今に至るように、文章の展開を予想できるようになったり、現代文で得た解法を利用して英文を読むことができるようになりました。
これができたことで、私の英語の授業スタイルが確立しました。
「考える」ことで、人は成長できると考えるようになり、現代文の授業でもいろんな角度から見て考える習慣を身につけました。
そのお世話になった先生は代ゼミの笹井厚志先生です。考えることの面白さを教えてくれました。
今も私は考え続けています。考えることでその先生のさらに上の次元に行けることをずっと信じ続けています。
論理的に考えることの大切さとやり方をもっと早く知っていたら、数学などの理系科目や世界史、地理などの社会科目ももっと伸ばせただろうし、勉学がもっと面白いものだったのでは?と思います。
この「論理的に考える」ことが全ての科目の始まりでもあり終わりでもあると思います。国語力ーそれは語彙力ーこそが最も大事な能力だと感じています。
35の時に見えてた世界は「暗記」という論理を除いた世界で足掻いていたモノクロの世界でした。
60の時に見えた世界は「考える」という論理を考えた色づいた世界でした。
成績に伸び悩みがあるのなら、「考える」練習をしましょう。これはどの学年・レベルでも言えることで、小学生から大人まで老若男女関係なしに当てはまります。高校生は現代文を考えて勉強するといいでしょう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。