立ち会い出産で大泣きした話(妊娠生活レポ)
2024年5月に新しい家族が増えました。10ヶ月間ずっと夫婦に寄り添っていた元気な男の子です。
妊娠とつわり
お昼寝してたところを奥さんに起こされ、「妊娠した!」と告げられた私は嬉しさと驚きを感じながら、妊活1ヶ月目に来なかった君に「いらっしゃい」と呟いたのを覚えてます。
最初から順調にはいかなかった妊娠生活、1ヶ月目は胎嚢の横から出血があり、2ヶ月目も治らず、3ヶ月目に治ったと思えば苦しいつわり生活が始まりました。
3ヶ月間、お母さんは1日中布団とソファの生活で、お父さんはお母さんのサポートと仕事の毎日でした。君がお母さんのお腹から帰らないように必死に、ただ必死に。
つわりで苦しむ奥さんの食事は、バターロールやチョコスティック、おかゆに春雨スープ、パインにマクドナルドのポテト。買い物に行くたびに奥さんが食べられそうなパンやお菓子を色々試しに購入しては、食べられなくて私が消費していました。
車の中に吐いた時も、トイレの便器に間に合わずに吐いた時も、奥さんの気持ちが楽になるように笑って綺麗にしたのが懐かしいです。
日課として、新しい命のために辛い思いをしながら生きる奥さんに「今日も1日ありがとう、おやすみなさい」と声をかけることにしていました。
奥さんも出産後も覚えていて、当時は嬉しかったそうです。
安定期
安定期に入るころには、つわりも快調に向かい少しずつ前と同じ食生活に戻りました。
鴻神社で安産祈願を行い、少しずつ大きくなるお腹と、検診のエコーで見る君のお顔がただ楽しみでした。
そんな安定期ですが、つわりは治ったものの奥さんに貧血の症状が出てしまい、日によっては15~30分ごとに休憩しないと歩けない時も多かったです。某アウトレットで救護室にお世話になったこともあります。。介抱してくださった職員さんや、お声がけ頂いた店員さん、改めてありがとうございます。
休憩箇所が少ない施設や空いてない優先席に悲しみを覚えることもあり、妊婦さんに優しく生きようと思うきっかけとなりました。(アウトレットやららぽーとはベンチも多く神です)
今思えば、店員さんに「妊娠何ヶ月目ですか?」と聞かれることが増えたのもこの頃です。重くなるお腹を支える足腰の痛みと戦う奥さんが、その問いで笑顔になる瞬間は脳裏に刻まれてます。
苦しい時間も多く思うように動けない安定期でした。しかしながら、夫婦2人きりの妊娠生活の思い出作りに様々なイベントを過ごしてかけがえのない時間を過ごしました。
上げきれない程の写真がたくさんあります。いつか大きくなった君に見せるのが今から楽しみです。
臨月
臨月に入る頃には出産準備品も買い揃え、いつか来る陣痛に備えて水通しや陣痛バッグと入院バッグの準備を奥さんと一緒にしました。
奥さんは貧血も治り、食事の準備や家の掃除、毎日のウォーキングと元気いっぱい。長かった10ヶ月間ももうすぐ終わり、夫婦だけの生活も終わるのかとしみじみ思う毎日でした。
破水
それは某日21時ごろでした。
私はリビングでリングフィットアドベンチャーをプレイし(健康診断で脂質異常を診断されたため)、奥さんはシャワーを浴び洗面所で保湿していた瞬間、奥さんのお股から羊水が床へとこぼれ落ち、思いがけない陣痛の始まりです。
ドラゴとの戦いで息を切らしている私は病院に行かなきゃと右往左往と大慌て。そんな私を横目に冷静に「病院に電話したから、シャワー浴びてゆっくり準備して」と言う奥さん。
(通常は陣痛から始まり、分娩の最後の方で破水します。が、奥さんは破水から始まったため、私は予想外の出来事に大慌てでした。)
まさかの事態にハラハラしながら大急ぎでシャワーを浴び、準備した荷物を車に乗せ、安全運転で病院へと直行。
夜の10時の道路は遮るものもなく、吸い込まれるように病院へと入り、看護師さんに病室へと案内されました。
病室へIN
ここからが妊娠生活の最後の戦いです。
漫画コウノドリを日々読んでいた私は、ここまで乗り越えられたことへの感謝と、これから何があるか分からない不安でいっぱいでした。
不安を態度に出したり、不安になることを言ったり、スマホで暇つぶしをしたりすることだけは絶対にしないと心に決め、最後の戦い開始です。
朝の4時ごろまでは陣痛の間隔も7~8分で、どうにか休み休み過ごせていたものの(私も30分くらい仮眠してた)、朝の5時になると痛みが強くなり陣痛室へと案内されました。
陣痛室へ
朝の8時30分になると陣痛促進剤を使用するための説明があり、数年間で一番元気のいい「はい!」で返答し、薬を投与。
約30分ごとに薬の量も増え、どんどんと強くなる痛みに耐える奥さん。「痛い痛い痛い」と痛がり2分間とうとうとする2分間を交互に過ごす奥さん。私ができるのは、腰をカイロを持ちながらマッサージしたり、「もう少しだよ」「大丈夫」「楽しみだね」と声をかけてずっと応援することだけでした。
分娩室へ
朝の11時を過ぎると子宮口も8cm開き、いきみたい奥さんのお尻をリングフィットで鍛えた筋肉とテニスボールを使い抑えつけます。
もう少しで子どもに会えるという安心感と、出産し安定するまでどうなるか分からない不安、少しずつ進む時計の針を見ながら「母子ともに無事生まれますように」と祈り、ついに12時過ぎ分娩室へと奥さんが移動します。
こどもが産まれる直前まで離れ離れになり、別室で大きな声でいきむ奥さんの声を聞きながら、立ち会いの最終確認をします。
ここまで頑張ってきたことを褒めるか、産んだことに感謝をするか、それとも応援に注力するか。いろんな選択肢がありました。
頭がなかなか出てこず吸引分娩となり数分後、私も分娩室に呼ばれます。
その瞬間、涙が出ました。
あまりに無力な自分と、新しい命を本当に命をかけて産む奥さん。
あと少しの力が出るように、涙を抑えながら「頑張れ」と声をかけます。
誕生
破水してから14時間経過し、「んーっ」といきんだ瞬間、ついに産まれました。
元気に「ンギャー」と泣く赤ちゃん。
ブワッと涙と鼻水を出す私。
赤ちゃん以上に泣いてる私を見て笑う奥さん。
奥さんの初めての出産、赤ちゃんとの初めての顔合わせ、奥さんに見せた初めての涙、いろんな初めてが詰まったその瞬間は非常に尊い思い出です。
その後、母子ともに無事に退院し、力を合わせて育児に奮闘しています。
なぜ泣いたか
妊娠初期の出血、歩けなくなった貧血、一時期の逆子、1日だけ弱くなった胎動と、産まれるまでの10ヶ月間に色々な苦難がありました。
その度に赤ちゃんが無事に産まれるか心配になり、色々調べたりお医者さんに相談しました。(お医者さんの言葉を第一に)
赤ちゃんに限らず奥さんが事故にあったりしないか、私がインフルやコロナに感染しないか、不安の多い毎日だったと思います。
その不安が出産という1つのゴールに到達できたことで解放され、たくさんの涙となって流れ出たのだと思います。
その他
立ち会い出産について
私としては、テレビドラマや漫画よりも長く必死な世界を味わえますした
不謹慎かもしれませんが人生経験としても有意義だと思います。昨今における男性の育児への積極的な参加意欲にもなるので、立ち会い出産が可能であればぜひオススメします。
私はリモートワークの環境もあり、妊娠生活から当事者意識で過ごしてきました。もし妊娠中の奥さんとコミュニケーションがうまく取れていない方や、妊娠について理解が浅い方は妊娠生活の最後だけでも奥さんのために必死になると良さそうです。
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