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動物にとって"幸せ"とはなんだろう。

私は今、挨拶をもすっ飛ばし、感情のままに手を動かし綴っている。

それは約2年前。
寒さが本格的に始まりつつある11月のこと。雨上がりの山道でチャリを漕いでいると可愛い3匹の子猫に出会った。いわゆる"捨て猫"だ。初めて出会う捨て猫に戸惑いながら助けようとする私の手に怯え、3匹の子猫は全身を震わせ必死に逃げようとした。
通りかかった建設会社の人が車を停め、歩み寄ってくれ、一時保護までしてくれた。やがてその子猫達は友人の親御さんの譲渡会へと渡り、動物病院で元気を取り戻した後、受け入れ先の家族がみつかり今は幸せを感じて暮らしているだろう。

その時、私は"出会いとは必然的に起こるもの"と教わり、全ての出会いを大切にするよう心がけている。



約1ヶ月前、残暑が残る日に外のソファーで寝ていると枕元に子猫が乗っていたのだ。驚きながら私は出会いに感謝し、翌朝餌をあげると、家へ訪れることが多くなった。
数日前に「家族が取り返しに来たから、引き渡した」と同居人のチームメイトから聞いた。猫を飼う人もいるのかと少し嬉しくなった。

なぜなら、今住んでいる国"アルバニア"では、多くの野良犬や野良猫が生きていて、産後間もない子猫が鳴いている姿を助けることができなかったが見たことがあるくらいだ。ただ、残念な場面だけではなく、食べ終えた肉の骨を犬にあげる人だって見たことあるし、ソーセージあげて猫と戯れるチームメイトも見たことある。「そうやって共存しているのかもしれない」なんて考えたと同時に、「動物にとって幸せとはなんだろう」とも考えた。あくまで人間の世界では、各国にはそれぞれの文化、歴史、国民性があり、それを理解し受け入れなければならないのだ。


そして話は現在に戻る。
引き渡したはずの子猫がびしょ濡れで体を震わせ、外に立っていたのだ。

子猫が嫌がる中、ぬるま湯で体を洗い、タオルで拭き取り、ヘアードライヤーで子猫の毛を乾かす。
体を震わせ逃げ回ろうとする子猫の姿に私はとても悲しい気持ちになった。
いっそのこと引き渡したと言うことを聞かなければ、まだこの気持ちはモヤモヤのまま留まっていたかもしれない。しかし、問題はそこではない。
子猫はこの飼い方で幸せなのだろうか?
ということで、この一場面では、幸せとは言えるはずがないのだ。

とにかくこの子には元気に育ってほしい。この災難を乗り越えてほしい。そう思います。

世界中の人々とも、動物や自然とも共存できる素敵な世界になることを願い、私にできることはなんだろうか。

タユウ

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