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自分と向き合う中で生まれた見解
「今僕のNoteを見てくれているあなたは優しい人です。」
「いやいや、私なんか」と思ったあなたは何故そう思うのか?上げてみてください。
...
それを私に伝えたとしても、私があなたを魅力的に見たのならば、あなたは魅力的な人なのです。
さて、良くも悪くも謙虚な人が多いこの世界で、謙虚が自己嫌悪に繋がるケースが多い気がしますし、私自身もそうでした。本当の意味で自分と向き合えていなかったのです。
まるで鏡を見ながら服装選びをしているような感覚で、自分と向き合っている"つもり"で生きてきました。
向き合っているようで少し視点がずれていたのです。
多く服の中から最善を見つけようとするあまり、細かな欠点に目がいくようになるのと同じように、私自身も自ら悪い所探しを始め、相手から自分はどのように映るか気が気でなくなるのです。
本来なら悪い所は成長やより魅力的になれる大事な要素であり、誰でも持っているもの。また、それを改善しようと心がけて実行することが大切なはずなのに、、。
私はそれに気づくことができた時に初めて自分と向き合えた気がしました。
相手が自分をどう見ようと、私は受け入れることしかできません。もちろん相手を思いやる心は忘れずに。しかし、私にはどうにもできない。私が変わったと思うなら、あなたが変わったのかもしれないし、私は改善することを心がけている分、必然的に変化は生まれると受け入れる。
もしも私が悪い方向へ変化をしている場合、自分と向き合っていれば、気づき修正できる。
「相手が自分をどのように見るかより、私がどのようにありたいか。」
やがて見える景色や見るポイントに変化が生まれ、不思議なことに、自分が嫌いな私は自ら作り出していたことに気づくことができました。
これらは逆に考えると相手を見るポイントで相手の姿を自ら決めているということにもつながると思います。
相手がどんな人なのかは、私からの見る視点によって少なからず左右される。だから、自分が苦手と感じるその人の苦手な部分に注目しているかもしれないのです。
もちろんいきなり嫌な事をされたら、誰でも嫌いになると思います。
だから、私たちは「やめて」と言える。
話すことができる。
それでも解決ができないならば、相手がどうありたいかなので、私から距離を取るべきだと思うのです。
でも、話せるからこそ、私たちはその伝える作業を怠ってはいけない気がします。
私は自分と向き合ってそんなことに気づきました。
これからまた新たな気づきや発見からこの考えに変化が生まれるかもしれませんが、それも私の成長だと思ってくださると幸いです。
最後に、挨拶をすっ飛ばしごめんなさい。そして、最後まで読んでくれてありがとうございました。私の経験が少しでも誰かのためになることを願って。
"あなたを魅力的に思う私から"
タユウ