見出し画像

『夢で見た光景』を始めた理由

「他人の夢の話ほど、つまらないものはない」
――どこかの誰かが、そんな風に呟いていた。

なんとなくではあるが、その理由は想像がつく。単純に感性の差違という問題もあるだろう。さりとて、もし似通った感性の持ち主相手に語るとしても、楽しんでもらうことはかなり難しいと思われる。
なぜなら、相手はビジュアルイメージとしての夢を共有できない。友人からおすすめの映画の話を聞き、「自分ならばどのように感じるだろうか」と期待を抱きながら受け止めることができないからだ。
もちろん、聞き手の想像力に委ね、語り部の言葉を楽しんでもらう、という視点がある。となれば、自分が夢で関わった実在、あるいは非実在の人物や場面について、自分の無意識が産み出した微妙なニュアンスを伝えるストーリーテリング能力がなければ、伝わらないこともあるだろう。

とにかく、自分が見た夢のイメージを誰かのささやかな娯楽につくり変えるには、それなりの能力と労力が必要だと思っていた。実際、それがなければ良くも悪くも自分語りの域を超えない。

さて、私は文章を書くことを生業としている。とはいえ、何もないところから物語を紡ぐ小説家でも、自分の内側をさらけ出しながら、読み手の心を響かせる随筆家でもないコピーライターだ。器用な書き手であれば、小説であろうが随筆であろうがコピーであろうが、それぞれに適した言葉を拾い上げ、文章を編むことができるだろう。しかし、私にはその柔軟さが欠落していると思っていたし、今でも思っている。(『LITALICO発達ナビ』でコラム執筆をするお話をいただいたときは、たいそう驚いた)
そのような人間なので、夢の話で人様の心を動かせるなどとは考えもしなかった。

さて、私は時として珍妙な夢を見る。内容や設定が珍妙、という話ではない。理解不能、あるいは説明困難な図表「だけ」が出てくるのだ。その前後に物語はない。
何の理由があってこのようなものを、私の脳は産み出したのか、などと調べもせず、ただただメモしていた。SNSに上げることはあれど、私を面白がってくれる好事家の友人知人に一斉送信する感覚に過ぎなかった。

それが過日、仲間内のSlackにて「鈴木が夢で見た謎の図表を、noteのマガジンにまとめてはどうか」という提案をいただいた。ほんの数人の需要でも、仕事が激減し、時間のある今の私につくらない理由はない。noteは以前アカウントのみ作成していたので、大した手間ではない。手元にある画像を次々とアップした。
以前自己満足のため、別のブログにアップしたところ、意外にもお褒めを拝受した『ラーメンかつ吉』の存在をふと思い出し、こちらは加筆・修正して追加した。


メモした数は大量なのだが、ほとんどは紛失、あるいは破棄したと思われる。まだどこかに残っているかもしれないので、見つけ次第こちらにまとめる。思い出したものは書き直すつもりだ。

片手で数えても余る、ごくわずか、愛すべき好事家たちのために始めたこのマガジン、意味など求めず「ふーん」と眺めていただけたら幸いだ。


いいなと思ったら応援しよう!