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民俗学?的な考察:モアナと伝説の海2


先ほど、年始のららぽーと内の映画館で
息子が見たがっていた"モアナと伝説の海2"を見てきた。相変わらずCGが美しくて感動した…
映画館って暗いから、すぐ昂って泣くスイッチが入るんよなあ

さて、本編を観て思ったことを記述しとこう。記憶が新しいうちに。

モアナはシャーマン
モアナは完全にシャーマンとして描かれてる。モアナ映画1では自分が海(の神)とかおばあちゃん(の霊)とかと喋れることに気がつくんだけど、
2では神とか霊、見えない存在と最初から
もう喋れるていでずっと進んでる。海も操る前提。村長的立場ではあるんだけど、動くリーダーって感じ。あの世とこの世を繋ぐ巫女的、占い師的要素も兼ね備えるリーダー。民俗学的に言うと、大人にならない少女しかなれない神聖な役割なんだろなー。それが大人になると穢れとされるのか…それは3を乞うご期待
(ジブリ映画"風の谷のナウシカ"のナウシカが同じ立ち位置)

モアナの村は貨幣がない
モアナの村の人たちには、貨幣がない。
皆んな働いて、分け合って、病気は占いとかで治しがち。文明が発達しすぎてないほうが、皆んな幸せそう、というメッセージすら感じる。そう、文明が発達するからお金が生まれるのかな。しかし手作り船が豪華になっていくし、他の島の人と出会うシーンあるので、いつかモアナの村にも貨幣が誕生するかもしれない。社会主義と土着信仰は密接な関わりがあるのかもしれない。科学によって呪術的なものは否定されるのかもしれない。でもマウイが"スマホ"をセリフで表現してて面白かったな。マウイは半分神で半分人間。これはサン(ジブリ映画"もののけ姫")的な感じなんかな…
まあ、とにかくお金が出てくるシーンがなかった(はず)。

モアナの村は単一種族
モアナの村の人たちは、皆んな同じ肌の色、目の色、髪の色。他のディズニーピクサー映画と比べると、圧倒的に人種の違いがない。というか島国?やし。だから、日本人が見てて安心感を覚えるのか?と思ったりする。そしてモアナの村はおそらくミクロネシア諸島?と推測したがフィジーらしい。
途中で踊るダンスは確実にハカ(ニュージーランドの先住民族のマオリ族の戦闘の舞踊)だと思う。ハカが見たくてラグビー観てたからここでも見れてうれしい。
沖縄の人とここら辺の島国の人はたどれば祖先が同じと聞いたことがある。
単語の音が似ているのもやはり関係しているんかな。


とかとかとか。だからうちの子、モアナ好きなの??とか
思ったり。これは当てはまる人おおいのかなーとかどうなんかなーとか
考えていた冬休みのお母さんでした。

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