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幸せは自分では気がつかない(50/100回)

先日のバス停の前を通ってみた。

今日はおばちゃんたちはおらず、代わりに1匹の犬とおばあちゃんが座っていた。

犬はコーギーで毛並みのせいもあるだろうけど、よく太って丸々している。

まだ昼間の暑さが残る18時前。

おばあちゃんは汗だくになりながら、一所懸命にコーギーの毛をブラッシングしている。
家でやると毛が舞うからわざわざバス停まで来てブラッシングをしているのか、それとも誰かがバスで帰ってくるのを待っているのか。

ある程度の時間そうしていたのか、おばあちゃんの周りにはうっすら毛が積もっていた。


よく太ったコーギーはとても満足そうな顔をしていた。
この暑い中ブラッシングをしてもらうことに満足しているのか、それが当然。といった表情でもみくちゃにされている。


家に帰ると娘がテレビの前でひっくり返ってYouTubeを見ている。

父は暑い中頑張って働いてきたのだぞ、という様子を微塵も感じさせず軽い調子で「ただいま」という。

画面の中のYouTuberに夢中で「おかえり」の声は返ってこない。


子供の当たり前の幸せは親の見えない努力で成り立っていると気づいたのは、子供が生まれてしばらくしてからだ。

思えば自分自身、幼少時代は何不自由なく過ごすことができた。
少なくとも何かが障害になって身動きが取れないということはなかった。
それがどんなに恵まれているか、子供の頃には知る由もない。

自分の娘にもとびきりではないが、今の環境を当然と思って欲しい。
そして、できるならもう少し色々なものを与えてあげたい。

開業してからもうすぐ6年が経つ。
ここ数年、現在に精一杯になりすぎて先のことを見通せない日々が続いている。
自営業者は思いのほか大変で、毎日がむしゃらに走っている。

娘が大人になった時、幼少期の記憶はどんなものなのかと想像する。

今の環境がベストだとは思わないが、家族3人で過ごせることに感謝している。




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