「動物園」と忘れ物
私の父方の祖父はなかなかの変わり者だった。外出の際は常にベレー帽をかぶり、桜前線と共にカメラを持っては全国の景色を撮って廻っていた。旅行とカメラにお金は惜しまなかったが、それ以外にはとにかくお金を使わない吝嗇家だった。亡くなる寸前まで安いからと言って発泡酒を飲み、トイレットペーパーの長さは5センチまでと決めていた。現役のころは「一服の四郎」(四郎とは祖父の本名)と言われており、とにかくすぐに「ちょっと一服」と言っては仕事を抜け出し、サボっていたという。残念ながらこの遺伝子は引き継いでしまったが・・・。さてそんな祖父と私が小学校低学年くらいだっただろうか、動物園に連れて行ってもらったことがある。祖父は祖父なりに孫に良い印象を持ってもらいたかったのだろう。趣味に忙しいところ、自ら提案してきた。でも、動物園に到着するやいなや、祖父は自分の命よりも大切にしている「広角レンズ付き一眼レフ」を片手に、終始、動物たちを被写体にパシャパシャ撮影していた。孫そっちのけである。一通り廻った後で私は被っていた近鉄の野球帽がないことに気が付いた。蒸し暑かったので、さっき休んだベンチに脱いで忘れてきてしまった。撮影に夢中の祖父になかなか言い出せず、やっと言ったときにはもう遅かった。ベンチに戻っても、忘れ物センターに行っても野球帽は無かった。家路に帰る途中、近所の洋品店でまったく同じ近鉄の野球帽が売っていた。祖父は何も言わず、洋品店に入り、無言のまま野球帽を買ってくれた。祖父に「物」を買ってもらうのはこれが最初で最後だった。でも、あの時の悔しそうな祖父の顔は今でも覚えている。そんな祖父も逝ってから15年がたった。そろそろ墓参りの時期だ、今年もお金を惜しむことなく、良い花を献花することにしよう。これが野球帽を買ってくれた祖父へ対してのせめてもの報いだ。
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