イベントの過ごし方ー百箇日と子供の日
2007年5月
百箇日をむかえて
今日で子供が亡くなって百ヶ日をむかえました。
たくさんのお花を買って、
朝から好きだった歌のCDをかけて、
両親もお線香をあげに来てくれて、ありがたい気持ちと
寂しい気持ちとで複雑でした。
これからこのように供養の節目を過ごしていかなければならない
という現実がなんともいえない気持ちになります。
まだこころが過敏なせいか
ひととのかかわりで辛くなったり、落ち込んだりしてしまいます。
今までお線香をあげる時間を作ってくれなかったのに
いまさらお線香をあげに来たいというひとがでてきたりしました。
別にそのひとじたいが悪いとは思いません。
でも、来てほしいという私たちの想いと異なり
あとでいいやと思った、それだけの関係だったということ。
亡くなった息子が大事だからこそ
今は信頼できるひととしか話をしたくないし、
あまりたくさんのひとがいる場所は
気疲れしてしまう。
まだまだそのような状況です。
子供の日がやってきました。
本当なら成長を祝い、季節行事やイベント好きな私は
はりきっていろいろ考えていたところですが、
前日から実家に帰り、自宅に戻ることにしました。
父にもう1泊をすすめられたけど
こどもの日だからお線香をあげたいんだと伝えました。
去年じいじが買ってくれたカッコイイ兜は祭壇のとなりに飾り、
こいのぼりは近くに飾りました。
みんなベランダに飾っているこいのぼりをみると
とてもさみしくなります。
うちはもう外に飾ることはないんだね。
たった1度しか兜をやこいのぼりを見れなかった
息子を思うと本当に悲しくなります。
きっとまだ食べれなかっただろうけど
かしわもちは祭壇におそなえました。
二日前は水子供養をしていただいたお寺へ
お参りに行ってきました。
観光スポットなのでかなり混んでましたが
息子がなくなってから、一度も行っていないし、
お彼岸にも行けなくてこころにひっかかっていたこともありました。
ただ、まだそのころには気力がなかった。
最後に行ったのは昨年のちょうど息子が1歳を
むかえた頃の水子供養を行った日近くでした。
いつもお参りに行くときには
私が同じお弁当を持って一緒にそこで食べます。
昨年は息子はまだ離乳食とミルクだった。
毎年一緒に来るはずだったのにね、
今年はまたパパとママふたりになっちゃった。
でも、遺影と位牌をもって
空で仲良く一緒に遊んでねって伝えてきました。
自宅に飾っているのと同じひまわりをお花屋さんで
買って、花をお供えして、
お参りして、お弁当を食べて
でも、やっぱりふたりはさみしい。
水子供養も順調に成長していれば育っていた命。
生まれてはこれなくても変わらない命と思って
子供の日、供養の日、彼岸のお参りはかかさず行っています。