人間関係の変化ーママ友に会えない

2009年6月

先日、お付き合いのあるママ友さんの旦那さんとお会いして息子にお線香をあげたいと連絡がきました。

旦那さんはそれほどお会いしていたわけではないから大丈夫だと思うけど、ママさんやお子さんには私は会えないと感じています。

私が前にももう大丈夫と思ってお会いした方がいました。
そのあとすごく辛くなり、落ち込んでしまったことがあったからです。

その時には自分でも自分のことがよくわかってなかった。
だから安易にたぶんもう会っても大丈夫と思ってしまいました。

この気持ちは私以外のひとにはわからないかもしれません。
夫も家族も・・・。
ママ友さん親子は妊娠時から密に連絡をとり接してた。

お線香をあげたいという気持ちはとても嬉しく思います。
でも、ママさんやお子さんとは仲良くさせて頂いた分とても辛さを感じてししまう。

理解してもうらうことは難しいかもしれない。
同じ時期に生まれ、死ぬことを疑うことなく育っている子供と
いまは見ることも、抱きしめることもできないわが子。

いないことを実感することは残酷という表現がよいのかわからないのですが
突き落とされる気持ちになってもおかしくはないのです。

実際に子供を亡くした経験がなければ
数か月たてばもう落ち着いて
大丈夫と思われるかもしれません。

ただ、時間がたてばたつほど辛いこともあります。

この辛さがいつまで続くのか、私にもわかりません。
一生変わらないかもしれない。

言い方は悪いけど、その方に限らずお線香をあげたいという
気持ちを持って頂いて、
それができればその人は満足かもしれません。

でも、私は辛く苦しい気持ちになります。
それでも、お線香をあげにきたいと思うのだろうか。

私がそれをわかりましたと受けて
苦しいのを我慢すればいいのでしょうか。
お互い望んでいなければ、ただの自己満足で終わってしまう。
そして関係は壊れもう2度とお会いすることはないかもしれない。
まだ亡くなって日が浅いいまはそう思ってしまう。

もう行ってもいいかとも時々聞かれますが、
本当に私と息子を思ってくれるなら
私から連絡するまでどうかそっとしておいてほしいというのが正直な気持ちです。

ずっと仲間だった来てほしいと思う人にはきてもらえず、
まだ辛く会えないというママ友たちには行きたいと言われ、
本当に複雑でそれを悩むだけでも心が苦しい。

人生でとても大きなことが起こったのだから、
自分のこころをいまは大事にして
わがままに過ごす時期もあってよいのかなと思っています。
それで離れていく人はきっと今度もつきあいが続くことはないでしょう。


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