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#8 懐かしい何か―ポルトガル(上)

ポルトガルのケーブルカーで

 それはリスボン市内にあるケーブルカーに乗ったときのことでした。
 小さな1両編成のケーブルカーは、たった一人の車掌さんによって運行されており、ケーブルカーが登って降りてくるまでの間、次の乗車を待つ客は照りつける日差しのなか、ずいぶんと待たされました。私と家人もその一人でした。ようやくケーブルカーに乗ることができ、後部座席に掛けたときには、ほっと一息つきました。私の隣には現地のご老人が腰をかけました。乗客の中には当地に珍しく日本人の観光客がいて、家族とおぼしきその3人が私たちの目の前のスペースに入って来ました。年配のご夫婦、そして30代ぐらいの娘さんです。その娘さんに気づいた現地のご老人は笑顔でそっと座席を譲ってあげました。しかし、娘さんの方は、ありがとうの挨拶もなく黙って席に掛け、付箋だらけのガイドブックを眺めています。私と家人は同じ日本人ではありましたが、なんとなく声を掛けづらい雰囲気で同乗していました。とはいえ、ケーブルカーがゆっくりと動き出すや、坂の向こうには海を擁した街並みが広がり、私と家人は思わず感嘆しました。いかにもリスボンらしい景色です。
 そのときです。私たちの目の前にいた日本人家族の御婦人が、鞄からおもむろにぬいぐるみを取り出し、そっと窓辺に座らせました。ぬいぐるみは比較的大きなもので、くたびれています。御婦人は、そのぬいぐるみと視線を合わせるように、じっと車窓の風景を見つめていました。静かな時間が流れていきます。いかにも荷物になりそうな、そのぬいぐるみは大切な人の形見なのでしょうか。このご家族にとって、ポルトガル旅行は亡き人を偲ぶためのものだったのかもしれません。

国際学会への同行

 昨夏、私は家人の学会発表に伴い、ポルトガルを訪ねてきました。私にとっては久しぶりの海外旅行です。旅行前に簡単なガイドブックを買い、せめてもの挨拶として5つの言葉を覚えて行きました。
 オラ!(気軽な挨拶。こんにちは。)
 オブリガータ(ありがとう。)
 ボン、ディア(午前の挨拶)
 ボア、タルデ(午後の挨拶)
 ボア、ノイテ(晩の挨拶)
ポルトガル行きは8日間の旅でした。そのうち、ポルトガル滞在中の6日間を、私たちは学会会場が設置されたエストリルという街で過ごしました。私は家人の勧めにより、初めてヨーロッパの国際的な教育学会に参加しました。家人の発表会場はもとより、様々な国の人々が教育をテーマとして発表し、議論し合う学会に、私はさまざまな興味関心を覚えることができました。
 旅行の主目的は学会にありましたので、私たちはエストリルを拠点として食事を摂ることにしました。エストリルは海辺に位置する海水浴場で知られる街です。レストランには事欠きません。しかし私たちは、ある一軒のお店に通い続けることとなりました。そのお店のスタッフが心から親しみをもって私たちに接してくれたからです。私たちはそのお店で上記の挨拶言葉を幾度、言い交わしたことかしれません。

ポルトガルの人々

 私にとってポルトガルは初めての国でしたが、他のヨーロッパの国と違って、どこか懐かしい感じがしたのは不思議なことでした。当初、それはポルトガルの人々の黒い髪や黒目がちな瞳がそうさせるのかと思っていましたが、滞在するうちに、どうやらそれだけではないような気がしてきました。

(#8 なつかしい何か―ポルトガル(上)つづく)
エッセイは毎週金曜日に発信します。


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