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#7挨拶が生きるとき(3/3)

弾む、響く、生きた挨拶

 それにしても、久しぶりに大阪の町を眺めていると、人と人とのあいだに交わされる言葉が豊かであると実感します。
 母を見舞った後、突然の土砂降りに傘が折れてしまい、急いでコンビニエンスストアーに入ったものの、あいにくビニール傘はおいていないとのこと。お店の方は「すみませーん。おいてないんです」と深々と頭を下げてくださりました。とても申し訳無さそうな店員さんの表情にこちらも恐縮してしまいました。人と人とのやり取りまでが機械的と言われるコンビニエンスストアーですが、どこもかしこもそうであるとは限らないのですね。
仕方なく小止みになるまで、お店の入り口にたたずんでいると…
「えらい雨やね。」と小走りに声を掛けてくれる方、
「よう、降りますなあ。止みそうにありませんな。」とお隣で同じく雨宿りをしながら、話しかけてくれる方、
「まー、ひどい雨やわ」としずくを払いながらお店に入っていく方…
雨のなか、人の言葉が、地元の言葉が心に響きました。無機的でない、歌を歌うような心地よいリズムがありました。日常の挨拶が生きていると感じました。
 さて、そのようなあたたかなご近所の方の言葉を聞きながら、私はせっせと母の菜園の草抜きをしていました。背後の物音に、誰の声かとふりかえると、ブーンという虫の羽音。虫も声がけをしてくれているような思いがしたことでした。
(#7挨拶が生きるとき 終わり)


【参考文献】
金水敏・高田博行・椎名美智(2014)『歴史語用論の世界 文法化・待遇表現・発話行為』ひつじ書房
滝浦真人(2013)『日本語は親しさを伝えられるか』岩波書店

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