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私の人生を変えた言葉③自分の周りを幸せに

今日は私の人生を変えた言葉③です。
三つ目は、私がイギリスに留学をしていた時、26歳くらいの時でした。

私は求人広告の営業を4年経験した後、ずっとしたかった留学に行きました。社会人留学でしたが、本当に行ってよかったと思っています。

私のホストファミリーはめちゃくちゃ良い家庭でした。イギリスはビジネスで留学生を受け入れている家庭も多いため、ご飯も缶詰だったり、会話もほぼ無しというところが多いと聞いていたのですが、私のファミリーは毎日家族と同じご飯も食べるし、部屋にこもってたらみんなで一緒に話そう!と呼び出されるくらいでした。
毎週週末はホストマザーの友達もたくさんきてパーティーもするし、とてもアットホームな家庭でした。

ホストファミリーの家には、常に3人のスチューデントがいました。
他の2人は中国人とウクライナ人で美大に通っていたので3-4年くらいそのホストファミリーの家に滞在してましたが、
夏休みや冬休みなどの長期休暇の時は国に帰っていたので、その期間は短期滞在の学生が入れ替わり立ち替わりきていました。


私が影響を受けたアフリカで途上支援をしていた50代のドイツ人の話

私が滞在していた時に、夏休みの2週間だけ50代のドイツ人の方がホストファミリーの家に休暇でやってきました。
彼はアフリカで性的暴力を受けた女性のカウンセリングや支援などをしている方で、もう長年その仕事をしていると話してくれてました。

当時26歳だった私は、母国ドイツから遥々離れてアフリカの人のために支援活動をしていることをかっこいいと思いました。
私は中学生の時にそういう仕事をしたいと思っていた名残があって、社会人になってからもアフリカの恵まれない子供達のために月5000円の寄付とかもしており、興味があったのです。

「私も将来そんな仕事がしたいです!」

そう伝えました。

でも彼がこう言ったのです。

「人の役に立つ仕事はとてもやりがいもある。
でも僕はドイツで生まれでドイツで育った。
家族も友人もみんなドイツにいる。結婚もしてない。」

彼はこう続けます。

「Sayaka、社会のために役立つことをしたいという気持ちは素晴らしい。
でも僕が考えるのは、
一番大事にするのは'自分'、
その次が'家族'、
その次が'友達や自分の周りの人'、
そして、最後に'社会'。
'自分'や'家族'を飛ばして'社会'のために生きるのは
時に苦しいこともたくさんある。
だから、まずは'自分'と'家族'を大事にしてほしい。

この時私はハッとしました。


私は自分のやりたいことを叶えるために留学に来ていて、自分は満たせている。
でも、果たして家族はどうなのか・・・。

大切な問いを与えてくれたのです。

母に親孝行しようと決意

私は21歳の時に病気で父を亡くしました。
元々病気がちで、父が長生きしないことは分かってました。
でもどこかでそんなことないんじゃないかって勝手に思ってる私がいました。

父が息を引き取ったのは、父が53歳の時でした。
病気が悪化したと母から連絡をもらい、その日に飛行機へ徳島へ。
着いた時にはほとんど意識はない状態。そして、その数時間後に亡くなってしまったのです。

私は激しく後悔しました。
まだ結婚もしてない、子供も見せてない。
夢も叶えてない、何も親孝行できてない、、、


でも、そんな気持ちをどこか自分の奥に押し込めたままだったのです。
20代前半は父がいないことが無意識のうちにとてつもなく悲しい過去になってしまい、
それに向き合うのを恐れていました。


でもこのドイツ人の彼にこの言葉を聞いて、このままじゃダメだと思ったのです。

そして、私はまず母に親孝行しようと思いました。

自分のやりたいことは留学してある程度叶えた。
だから帰国したら母に親孝行しようと。


阿波踊りも着物も始まりは全て親孝行だった

母は徳島でもう60年以上阿波踊りをしていて、阿波踊りは仕事と同じくらい人生の一部な人です。
その他にも三味線をしていたり、人形浄瑠璃をしたりと日本文化に関係することを大切にする人です。

帰国して外資系の会社に勤め始めた私は、趣味で東京高円寺の阿波踊りの連に入りました。
昔は嫌いだった阿波踊り。
でも歳を重ねて、こんなに素晴らしい文化だったのかと気づいたら、私も阿波踊りが大好きになりました。

母の母は着物を作れる人だったようで、着物もたくさん持っていました。
なので、着物も習い始めました。
帰省しては祖母の作った着物を母と着て、お出掛けしていました。
それは会ったことない祖母への孝行でもあると思いました。

「きっとおばあちゃんも喜んでると思う」

そう母に言われると、この世に生かしてくれた先祖に対する感謝の気持ちも湧いてきます

もちろん親孝行と言っても、私も阿波踊りも着物も大好きです。
表面上好きになるのではなく、私がほんとうに好きになって楽しむことも親孝行と思ってました。


私の大切な指針へと変化


おそらくドイツ人の彼は、何気なしに私にアドバイスしたのだと思います。
でも私にとっては、自分の周りを幸せにするということが強く自分の生き様になったとても大きなアドバイスでした。

そして、それはSUNNYのビジョンにも繋がります。
「自分の周りを幸せにする。
社会は変えられなくても、自分の周りを幸せにしていけば、
伝染していつか社会も良くなる。」


これを大事にするようになったのは、
紛れもなくドイツ人の友人のおかげです。

また会うことがあれば、彼にちゃんと御礼を伝えたいです。



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