頭を良くするために
今日は昼から大学にこもって卒論。なかなか集中できずに、4時間は携帯とパソコンの画面の往復で何も進まなかった、、、後半、なぜか吹っ切れて数時間、文献とDeepLと向き合って今日進むべきところまで完了。途中で図書館が閉まったので、いつものカフェに来て完成。
今回は何を書こうかな、と思いつつnoteの白いページを開くとなんだかんだ書くことが浮かんでくる。
この数日でとても元気と、精神力を頂いた言葉。
東京大学の入学式での祝辞。
卒論のミーティングで砕け散ってバッドに入っていた私に、力をくれた言葉。言葉の一言一句に、彼の哲学と、経験と学び、伝えたい思いが詰まっていて、久しぶりに人の言葉に見入ってしまった。
ふわー、しみる。深く、傷口にさえ流れていくけれど、何度も頭の中をめぐる言葉。私は今、何かを追いかけているのだろうか?何か叶えたいものがあるんだろうか?明確にはイメージできないし、言葉にできない。それを就活なんかでは諦めて、考えないという手段をとって、逃げているんだなとずっしりと思い知らされる。わからなくてもいいから、探し続けてみる。行動し続けてみる。そんなことからも逃げていたことが哀しい。好きを追いかける、なんてありきたりだけど、本当にそれを念頭に置いて生活している人、その点に戻れる人はいくらほどいるんだろう。
高校生の頃の私は、何者かになりたくて躍起だった。同年代の人がたくさんいる中では、何かで一番でありたかったし、人との繋がりもたくさん持てるように、頑張っていた。何者でもなかったけれど、その時の私は、新しい出会いや発見を楽しんでいたし、焦っていたかもしれないけれど焦って届きたい場所があった。20歳を超えたくらいから、”わきまえて”しまって、焦って何かに取り組むことに対して、なんだか野暮ったいような、泥臭いような、”フン、私は泥臭くなくたって容量良くなんでもこなせるんだからね。”そんな考えが頭のどこかにあって、生きてきた気がする。ダサいな、ほんと。今年こそ、たくさん間違いをする、と心に決めていたけれど、もう4ヶ月が経つ。何か挑戦できただろうか?
最近、Twitterの東京藝術大学お嬢様部を見てますのですまる。
聡明で、芸術文学を中心に広い分野に博識で、なんだか圧倒されてるのでございます。
何よりも、”頭の良さは知識量とそれらの適切な出力によって決まります。まずは知識量を増やしてください。”という言葉通りに、過不足ない解説と分析、ユーモアが本当に見ていて心地いい(/小気味いい)。
卒論を書いている中で、思考力、論点整理と体系化、分析の弱さに崩れ落ちているところだったのでこの言葉がなんとも痛い。
言葉通りに、新書を1日一冊読むことは今の生活的に厳しいけれど、あと海外にいて図書館が身近にないので資金的にも難しかったけれど、お嬢様部渾身のおすすめ新書リストが公開されたので、気になる題材を選んで購入してみた。まずは今月中にこの4冊(残りは読みかけの本です)を読もうと思う。
読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートで、朝にお気に入りのカフェでコーヒーをいただいて、少し本を読んで、それから新しいnoteを書こうと思います。