[エッセイ]本当に書きたいのか?~有名になんてならない♪
どうも!藤沢真弓です〜。
今回は「書く」ということについて語っていきたいと思います!
語るって…語るっていう言葉大好きです♪
物心つく頃から書くということは好きだったのですが、もちろん神童のはずがなく、初めて書いた文章は絵本をほぼほぼ丸パクリで描いたウサギの物語でした。
こんなに書けるなんて…あらすごいんじゃない?!と両親からも好評だった物語。
実際はその着想はほとんど児童図書館で読んだ本の丸パクリだったというわけです。
オリジナリティーって難しいですよね〜。いくら創作は模倣から始まると言えど、世に出てる人は本当に天才なんだなと思いますね。
でも、みんな書くの好きですよね。日記とか、卒業論文とか、第三者がちらりと見る機会があったりしたら、あら、面白い〜とか思ったりして。
そう、はっと人の新たな一面を知ったとして、家政婦を見た、ぐらいにしか思わないんですよね。たとえ昼ドラみたいなベタさだとしても誰かしらの人生が救われるかもしれないですよね。
私は昔から小説家になりたいな…と漠然と思っているような子どもでした。
神童でもなく若くして芥川賞もとれなかったですけど、大学デビューで新進気鋭の小説家としてデビューなんて憧れたものですよね〜。今となっては、何の感情もないですが。笑
さて、今回の本題に入りたいと思います。
本当に書きたいのか?
サラリーマンはやりたくもない仕事をし、時には上司と食事をし。
自分だけで事業を興した方が自分らしい人生を送れるんではないか?
現在はそうやって自分の道を探し、いざネットを彷徨うと声高に副業の素晴らしさを騙る輩に溢れています。
20代はじめから後半まで働いて。
さて、今から事業でも。よっこらせーやっと経験も積んだし興せるわー。欧米型のジョブ型採用♪と。
素晴らしいと思います。新卒至上主義、青田買い、終身雇用系、時代錯誤ですね。
副業至上主義、転職至上主義、好きなことをやろう!ネット最高。
…つくづく流行というのは、世間に認められた瞬間にある意味完了してしまっているのかもしれない、と感じます。
いや、お互い8時間も切磋琢磨して。
同じ目標を持って、同じタイミングに居合わせた同僚とその限られた時間を過ごす。
5月になると極東日本でも、定時に上がれば長い夕方が待っていて、生まれてきた喜びを感じれるかもしれません。…かも、ですが。
そうですよね。
だけど書きたいんですよね。
だけど限界なんですよね。
だから新しいデバイスを買うんですよね。
だからコーディーネーターに会うんですよね。
私に関して限定的にこちらで語らせていただくと、自分は結局何がしたいかなーと考えると三大欲求にいきつくんですよね。笑
まあでもこれから何してこうかな〜と、8時間も拘束される仕事の中で考えてしまいますよね、どうしても。
そうすると、第三者の目線は常に大事だと思ってしまいますね。
私はやっぱり、自分のためだけには書けません。
友達かもしれないし親かもしれないし、やっぱり誰かのために書いています。
偏見で稚拙だと嫌われてもいい。本当は誰も否定せず傷つけたくはないんだけど。書くというのはそういうことだから。
常に各々の愛で輪郭がなぞられているような。みんなそんな思いで、筆をとるんでしょう。
さあ〜私関しては。次は何を書こうかな。ピアノの鍵盤に指を乗せるようにキーボードに触れると、アラジンの絨毯のように私をどこまでも連れて行ってくれる。
別に行きたくないんだけど。でも、楽しいよ。