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大学の部活について

このnoteは2021年3月31日まで私を構成している様々な物事に対して色々と感想を述べていくものになります。
最初は大学の部活について書くことにします。それではスタート。

両親がオーケストラ出身だから、私がバイオリンをやっているから。その2つの理由だけで私は入部を決めた。いや、決めるというより自然に脚が赴いていた。
今振り返るともう少し他のサークルや部活動を見学して検討しても良かったのでは無いかと考えるほどだ。フレマンの初日に一直線に先輩達が待ち受けている練習室に向かった。
入部届を書いて、同期と初めて言葉を交わして、部活動の大半の時間を彼らと過ごすようになった。最初の感想は「入るんじゃなかった」
それもそのはず同期の多くは経験者、私は初めて4年目の初心者に毛が生えたような人。技術的な差は明らかだ。
そしてなんだか私だけ変わった雰囲気があった。母校特有の「特に上下関係は気にしない」だろうか。今は慣れたが、同期からしてみれば信じられなかっただろう。

とにかくまず練習量が圧倒的に足りなかった。それまでの自分を挽回するかの如く練習した。高校3年間分を半年間で練習した。弓を持つ右手人差し指にはタコ、両手首は腱鞘炎を起こし、一時期は長時間の演奏が厳しかった。今は左手首の炎症だけで済んでいる。

係はなるべく多く経験するようにした。技術面は無理でも運営面なら自分は役立つと思い込んでいたから。色々な係をやった、合計6.7個はやっただろうか。

その甲斐あってどんな曲もとりあえず「迷惑がかからない」程度には譜読みと演奏できるようになったと思う。
そして後ほど記すが1年間を部長として乗り切った。無茶な部分はたくさんあったと思うが後輩が慕って、同期や先輩が(多少の不満はあってもとりあえず)信用してくれたことは一つの結果だろう。

一つだけあまり改善出来なかったことがある。「性格」だ。
元来自分にも他人にも厳しい性格なので、思ったことがすぐ口に出る。例えそれが同い年でも年上でも、先生でもだ。
それにより多くの人を驚かせ、一部の人を傷つけ、一部の人を怒らせてしまった。中学生の時からこの傾向に気がつき、大人になるにつれ大分修正した。

これが友人が本当に少ない要因だとは分かっている。だいぶ治した本心はある。

これ以上治せるのか、今の私でも良いんじゃないか。高校卒業を控えているときにふと思った。

私には有難いことに親しくしてくれる神様のような昔からの友人が数名いた。
これ以上治すとそれはそれで生きづらい。大学生になったら自分が無理しないで生きやすい環境に身を置くことを考えた。

生きやすい環境、それが私にとってはオーケストラだった。この部活は私の性格を受け入れてくれた。こんなにありがたいことがあっただろうか。
皆と同じ場所で、大爆笑して話し合い、悩んで考えることが出来る。一緒に色々な感情を共有できることはとても幸せだった。
初めて仲間と呼べる人たち、友達と呼べる人たちが出来たのはこの部活だからだ。

今でもたまに本音が本人の前で出てしまう。大体言い方や指摘は厳しい。まだまだ改善が必要だ。「他人に優しくなる」基本的なことに一生を掛ける気がする。

ただ4年間は音楽以上に得たものが大きかった。家族が入っていたこと、フレマンの時に自然に脚が練習室に赴いていたのは、何かの暗示だったのかもしれない。

オーケストラだからなのか、それともこの部活だからなのか、それは卒業してみないと分からない。
ただ、4年間の思い出は消えない。今までの思い出が私の今の自信に繋がっている。暫くはこれで頑張れるかもしれない。



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