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母校について

今日は母校の話をします。
私の母校は私立の幼稚園から大学までエスカレーター式の学校です。私は母と祖父、遠縁の親戚が卒業生であった事、また母の勤務先に近い事からここの幼稚園受験、所謂「お受験」をしました。幼稚園から高校卒業まで通算14年間も在籍していました。

この学園の校風は「自主自律、自然を愛する心、個性尊重」などが重視され、厳しい校則も無く先生と生徒の距離が近い環境でした。
エスカレーター式であることから中学や高校進学の際に受験勉強をする必要も無く、小学校の時は毎日下校まで校庭で走り回り、習い事に精を出す日々でした。先生達もフレンドリーで友達のような感覚を抱いていました。この学校の良いところは人同士の距離が近いこと、そして自由で縛られない人間に育つことです。

しかしこの学校には大きな欠点があります、それは「あまりにも世間知らず」な部分があることです。
彼らはそれなりに勉強しておけば受験勉強に苦労することはありません。塾に行くことも、受験のためではなく定期テストのために行くだけです。
厳しい校則も無いため、授業とそれ以外のメリハリが付けられない生徒が沢山います。

中学受験、高校受験で入学してきた同級生もこの悪い慣習にすぐ飲まれていました。
平気で授業中や式典中にお喋りをし、モラルに欠けた発言をしていました。声が大きい人が全てであり、後先考えずノリで全てが成立するという考え方が根強かった。
たまに高級ブランドのカバンで登校する生徒もいました。今この話を大学ですると、全員ドン引いています。

私は高校を卒業する時、この学校が心から嫌いでした。
米国留学や大学受験で初めて人並みの苦労を経験した私は、この「世間知らずな」人達と一生分かり合えない!と思っていました。

しかし、彼らはなぜ世間知らずなんでしょう?根端には「どうせ大学進学出来るんだし、頑張って勉強する意味なんて無いでしょ」があったと思います。
事実、受験や推薦入試するためには良い成績を取る必要があっても、内部進学出来れば良い成績を取る必要は無いのです。

随分と皮肉な話です。大学では9割の学生が大学受験をしてます。彼らの多くは必死で勉強してきました。
しかし1割、そしてその少数には幼稚園以来受験をしていない人達がいる。随分と大きな差があります。
彼らはどこかで苦労するのでしょうか?もしかしたらお金さえあれば一生、生活や人間関係で苦労することは無いかもしれません。

私はやはり今でも同級生の多くが苦手であり、高校までの友人は片手に数えるほどです。これはずっと変わらないでしょう。
しかし母校を見直した点もありました。やっぱり人同士の距離が近いこと、そして競争心が良い意味で無いためのんびりしている。
母校に大学受験で入学してきた同学年の人達とある事から関わるようになり、それを強く実感しました。みんないい人達ジャン。

嫌い嫌いと言っておきながら全てが嫌い、という訳ではありません。
まず14年間を通して人間の在り方を教えてくれた先生や、何でも話せる先生方に出会いました。中学の辛い時期に部活動と先生が学校に行きたくない私を鼓舞させてくれました。辛い中学時代を一緒に過ごしてくれた各クラスのボッチの集まりが友達は捨てたもんじゃないと思わせてくれました。

いくら嫌いと言っても14年間もその環境に浸かっていれば、私の根底にはこの学校の精神が根付いています。これが仇となることも、最強の武器となることもありました。
最強の武器として人見知りしないことや、仇として遠慮が無いところはここから来ています。

「この学校での常識は、世間の非常識」
そんな言葉が良くも悪くもぴったり似合うのがこの学校であり、嫌いだけど100%嫌いにはなれないのがこの記事が中途半端に終わってしまう私の気持ちの表れだと思います。


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