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お墓、そして樹木葬の未来はどうなるのか ~21世紀のお墓のあり方について考える~

こんにちは。NPO法人  大樹の輪の五十嵐です。
サニープレイス福壽園にて樹木葬・永代供養墓のご案内をしております。

現地にて様々なお客様へ樹木葬をご案内している中で、多くのお客様に共通しているお悩み・ご不安があります。抽象化して表現すると、それは『未来のお墓(のあり方)について』ということになります。

「承継者がいないので、地元の墓じまいをしないといけない」
「実家には戻らないので、東京で自身のお墓を買いたい」
「子どもがいないので、誰の迷惑にもならないよう生前でお墓を探したい」
「将来的に、子どもたちに負担を残したくない」
「自分のお墓を用意するが、子どものお墓はどうすればいいか」

上記がお客様の声としての具体例ですが、それらすべてが、少し先の未来を見据えたお墓についての悩み、とまとめることができます。

このような悩みが多い(増えてきた)理由として、私は下記のように考えます。

「お墓がもともと備えている性格 - 地域性・固有性・不変性」と、「現代人のライフスタイル - 自由志向性かつ可変的」に乖離が生じるようになった。

お墓の歴史は、長いようで実はまだ浅いです。一般市民がお墓を建てるようになったのは江戸後期~明治初期頃ですから、せいぜい150年程度の歴史しかありません。世代で言うと4~5世代程度でしょうか。私自身は、実家の近くの寺院墓地にお墓がありますが、建立されたのは明治3年で、私の祖父の祖父が一番古くに埋葬されている人物です。

明治時代、当時の明治憲法下の民法において「家制度」が確立され、家族という単位が法律によって強固なものとなり、それにともない(良くも悪くも)ライフスタイルが「家」に縛られるようになりました。

当時のお墓も、その「家」に強く縛られていたものでした。明治民法第987条「系譜、祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権ニ属ス」とあるように、お墓は家族で一緒に入るもの、長男が継ぐもの、分家は相続しないといった社会通念は、明治時代の民法による家制度によって生み出されたものです。お墓は明らかに「家」に属するものでした。だから「○○家之墓」と墓石に刻まれたのです。

長男であればお墓を継ぎ、そのお墓に入る。次男以降であればあらたに家を持ち、家族代々のお墓を建てる。女子であれば、結婚して相手方の家のお墓に入る。現代のように選択肢は多様ではなく、しかしその分、お墓探しに関する悩みは小さかったかもしれません。法律によってレールが敷かれていたのですから。

時代は移って昭和に入り、太平洋戦争が終結、憲法は改正され、家制度は廃止されました。長男が財産を継ぐ家督相続もなくなりました。

法的な根拠は1947年の民法改正よってなくなったのにも関わらず、お墓は長男が継ぐもの、分家は入れないというようなお墓に対する人々の意識、地域的な慣習は、現代でもうっすらと残ったままです。

戦後の高度経済成長期からバブル経済期にかけて、都市部への人口流入が加速し、「核家族化」が進みました。大規模な霊園開発も盛んになり、都市部に核家族としての家墓を建てるようになりました。「お墓は、家族のもの。自分たちの親や祖父母が、そうやって大切にしてきたから。」ここでもまだ、お墓に対する「家制度」の名残は、人々の精神の中には残ったままです。

しかし、2000年代に入って、お墓の価値観の大転換が起こります。それが「樹木葬(永代供養墓)」の登場です。

樹木葬とはいったい、何なのか。なぜ注目されているのか。「木の下に眠る」「自然に還る」といった埋葬上の性格よりも、「家制度を断ち切るもの」として機能する新しいお墓だからである、と私は考えています。

東京のような都市部で販売されている樹木葬(永代供養墓)のほどんどは、専有面積が小さくコンパクトで、それにより埋葬上限人数が「4名様まで」などと定められているものが多いです。また有期限つきのものも多く、「○○年後に合祀」というパターンがほとんどです。合祀されれば、個別のお部屋の使用権は消失します。お墓がなくなるのです。

これらの性格が何を意味しているのか?それは「お墓の断片化/個人化」です。代々継いでいく、代々子孫がお墓に入っていく「家墓」から、私だけ、私たち夫婦だけと、世代を区切った「個人墓」への転換。それが「樹木葬(永代供養墓)」の流行の本質と考えます。

断片化、個人化と表現をすると、ネガティブに聞こえてしまうかもしれませんが、それは現代において、お墓に対してだけにではなく、社会のいたるところで起きている現象です。ひとり暮らしの増加、離婚率の増加、就きたい仕事に就いて住みたい場所に住む、ひとり焼肉店、ひとりディズニー。両親がどう思うかよりも、「私」がどう選択をするか。とにかく挙げればキリがないほどに、個人主義化が進んでいます。社会全域で個人化が進んでいるのだから、お墓も個人化するのは理にかなっているといえます。

社会が個人化すること、お墓が個人化することについての善し悪しを論じるのは、難しいです。しかし、社会が変容すれば、お墓(に対する考え方、その在り方)も変わる。それ自体は自然の摂理でしょう。

ひとつの転換期であるからこそ、お客様も悩んでいる方が多い。そのように現場では感じます。

ここからは、樹木葬の是非について、お墓の未来について、私見を述べさせていただきます。

まず、世代を区切った個人墓である樹木葬については、私はとてもいいと考えています。

私自身には冒頭申し上げた通り、先祖代々のお墓があります。脈々と続いていること自体は、素晴らしいことだと感じます。ですが、埋葬されている中で顔が分かるのは祖父母までです。曾祖父母・高祖父母の顔は分かりません。ですので、私が実感をもって回顧することができるのは、祖父母までです。

お墓は今を生きている人に心の安寧をもたらすもの、と私は考えていますが、それは私自身の記憶にあるご先祖様までで十分に役目を果たしている、と考えます。私の記憶にあるうちの、祖父母、そして両親との墓前での対話が重要。私は決して高貴な身分ではなく一般市民ですから、古いご先祖様のご遺骨を未来永劫残そうとも思いません。むしろ、全ての人が古いご遺骨をずっと先の未来まで残そうとしたら、世の中お墓だらけ・墓地だらけになってしまいます。

土地が無尽蔵に余っている国や地域ならいいですが、そうでない東京都では、お墓に使用期限を設けることは合理的でありますし、それによって先祖供養の精神が廃れるとも思いません。

お墓の未来はどうなるでしょうか。

日本全体では人口が減少していますが、逆に東京は人口増加しています。日本における死亡者数も2040年頃までは右肩上がりというデータもあります。それらにともない「東京に自分たちのお墓を持ちたい」という需要は、ますます高まります。ですが都立霊園は抽選式で非常に高倍率ですし、民間霊園の数もなかなか増やすことは難しいです(墓地埋葬法上、墓地の造成には非常に高いハードルがあります)。東京がさらに墓地不足に陥るのは明らかです。

上記の現状から、下記の3つを予測します。①納骨スペースを占有することの高額化②合葬墓の需要増加③海洋散骨の需要増加 です。

①納骨スペースを占有することの高額化 についてです。お墓を持つということは、言い換えれば土地を占有するということです。需要が増えれば価格は上昇するのは必然ですので、「うちだけのお墓」を持つことはさらに高額化するか、もしくはさらにコンパクト化するか、そしてその両者が並行して進むか、になります。「うちだけのお墓」を持つことが、今後は贅沢なものになるかもしれません。

②合葬墓の需要増加 についてです。合葬(がっそう)や合祀(ごうし)と呼ばれるお墓は、共同のスペースに他の方々と一緒にご遺骨を納めます。つまりお墓の占有ではなく、共有ですので、価格が安価な傾向にあります。こうした合葬形式を選ばれる方は多いですし、今後もさらに増えていくでしょう。

③海洋散骨の需要増加 についてです。お隣の中国の沿岸部(都市部)では土地不足がひっ迫し、お墓を建てられない状況にあります。そこで政府が海洋散骨を推進していてブームになっています。日本も土地不足かつ超海洋国家ですから、海洋散骨の需要はますます増えるでしょう。

「永代供養」という言葉がありますが、これは「永遠」という意味では決してありません。そもそも、森羅万象において永遠に続くものなど何一つとしてありません。100年200年先の未来なんて想像すらできません。お墓探しで重要なのは、そんな遥か先の不確かな未来を想像することではなく、自分が生きている間、そして自分に想いを寄せてくれる人がどう感じるかを考えることだと思います。

お墓のあり方は、社会の変容とともに今後劇的に変わる可能性があります。ですが、故人を大切にする供養の精神は、100年200年経っても廃れません。
そこに埋葬されることで、身近な人たちがどのように関わってくれるのか。悩まれている方は、それを起点に考えられるのも、いいかもしれません。

長々と語ってしまいましたが、皆様のお墓探しの一助となれましたら幸いです。

サニープレイス福壽園(ふくじゅえん)
大切なペットと一緒に眠れる樹木葬
都営三田線「新板橋駅」徒歩6分・JR埼京線「板橋駅」徒歩11分

■ホームページはこちら
https://www.taijyunowa.org/kitaku/

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