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誕生日に興味がなくなってしまった。
最近29回目の誕生日だった。
11月に誕生日があるわたしは、
11月に入るとそれだけでわくわくして、嬉しくて、
「わたし、誕生日なの!!キラキラ」
って主人公になった気持ちで過ごしていた。
いつからか、「11月にはいると」わくわくするではなく、
「当日が近づくと」わくわくしてくる、に変わり、気づいたら「当日も別にそんなに」ワクワクしなくなっている。
昔は、家族がパーティーを開いてくれた。
好きな食べ物を用意してくれて、ケーキを用意してくれて、プレゼントだって、父母、祖父母、親戚、友達のお母さんなどいろんな人からもらった。
中高生になってくると、友達が集まってお祝いしてくれたり、プレゼントをみんなからもらった。
大学生では、友達にお店でサプライズしてもらったり、バイト先でケーキが出てきたりした。
社会人になって、母や仲のいい友人からのLINEは届けど、だれからプレゼントやケーキをもらうわけでもなくなった。
同居しているパートナーとは、誕生日が全く同じ日のため、プレゼントはナシ、旅行にいくことになっている。年々、誕生日を軽視してしまっている気がする。
今日ご飯に誘われたら、サプライズでケーキが出てくるかもしれないとか、プレゼントがもらえるかもしれないとか、そういうワクワクが1ミリもなくなった。
いや、わたしは、やってもらうことに慣れすぎていたのかもしれない。
あのワクワクを味わうことが、「特別すぎた」のかもしれない。
大人になると誕生日が楽しみでもなんでもなくなるのは、歳をとるのが嫌だからだと思っていた。
歳をとることはなんとも思わない。
全然ウェルカム。
ただ、「自分が特別な人」になれない、
「特別扱いされない」日になってしまったから
途端に興味がなくなってしまい
誕生日を楽しみに思えなくなったのだ。
しかし完全に私のエゴであり、祝ってもらえるのが当たり前だったあの日々が奇跡だったのだ。
祝ってもらえる経験をしたあの過去がとっても特別で宝物なのだ。
たしかにわたしも、友達の誕生日近辺の日時に会えなければ、メッセージだけで済ませてしまう。
誰かの誕生日に、入念に準備したサプライズを決行することもなくなった。
もし誕生日が近い友人に会える予定があれば、サプライズを用意したいとか、ちょっとしたプレゼントを用意したいと思う。
しかし人生のフェーズが進むごとに、関わる人が変わっていくように
自分の居場所が変わるごとに、関わる人が変わっていく中で
そういう関係(誕生日を、盛大に祝い合う関係)まで築けなくなってしまったようだ。
もちろん、誕生日を祝い合う関係だから素晴らしいというわけでもないし、
日常を共に過ごして、それだけでとてもいい関係を築いている相手だっている。
今日、同じ11月が誕生月の友人とお互いを祝いあった。
お互い誕生日だから、とくに特別扱いはなく、
でも、いつも通りとても楽しく過ごした。
彼女も、誕生日がわくわくしなくなったと言っていた。
それを共感しあった。
何が言いたいのかわからなくなってきたが、
年々誕生日にときめかなくなってきた、興味がなくなってきているのがとても寂しいことだけ、ここに残しておく。
今度誰かの誕生日を、盛大に祝ってみようかな。