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なぜ、海外に移住することになったのか②シドニー留学編
大学を卒業し、就職
2000年。
大学を卒業する際、
介護施設へ就職したのだが
「介護のイロハもわからんのに
オフィス業務などできんわ」
という今は亡き理事長のお言葉で
介護士になった。
就職先は同い年か年下の子が多く、
とても楽しかったが
体力的にも精神的にも
きつい仕事であった。
腰痛、頭痛、倦怠感
若かったからまだよかったが、
夜勤明けになると
運転して家まで帰れない。
寄り道して途中のショッピングセンターの
立体駐車場で仮眠をとってから帰ったこともあったし、
大型トラックが信号待ちをしていると思ったら
実際は駐車しており、
待てど暮らせど進まないなと思いながら
うとうとしていた時もあった。
(危なすぎる!)
そんな生活がいつまで続くんだろう。。。
と思っていた。
となりで見ていたオフィスの人たちは
そちらはそちらでストレスフルで、
「やれって言われてもオフィスの仕事
やりたくないな」
と思い始めた。
貯金
私の両親はとても昔の考えの人だった。
その時、私にも彼氏がいたし、
そのうち結婚するかもしれないな、と思っていた。
母親は
「結婚資金のために、お金は貯めておきなさい」
と言って、
月の半分と、ボーナスはほぼ全額、
強制的に貯金させられていた。
1年と半年くらいたった後。
貯金は200万円を超えることとなった。
本当にこのまま結婚していいの?
アメリカに行ったとき、
あんなに成長したと感じて
あんなに英語を勉強したいと思ったのに
まだ何もできてない。
英語を話せるようになるって思ったんじゃないのか?
留学はやっぱり行きたい。
留学先を探し始めた。
アメリカはあこがれだったけど、
なんだか世知辛くて。
またアメリカじゃなくても。
カナダや英国は寒そう
(寒いの大嫌い!)
と
残った暖かそうな国。
それがオーストラリアだった。
アメリカ留学の時の学校が
シドニーにもあった。
オペラハウスの真ん前に学校があった。
日本にもオフィスがあったので
話を聞きに行った。
もうそのことしか考えられなくなった。
1年間、仕事を辞めて
留学をしよう。
200万貯まっているじゃないか。
親が何といおうと、それは私のお金。
(学費を払ってくれた両親、ごめんなさい)
全財産を使って、
留学に行こうと考えていた。
そんな矢先。
なぜか、彼氏の父親がうちに挨拶に来るという。
えっ
意味不明なんだが!?
彼氏の父親は私たちを早々に結婚させたかったらしい。
(まだ私はその時23!)
「暴走も甚だしいから、早く止めて!」
と彼氏に行ったのだが。。。
なんと、うちに来たのは
彼氏の母親。
?????
なぜ???
お父さんじゃなかったの??
話を聞けば、
「お父さんが行くといって聞かないので、
それを制止して、代わりに私が来ました」
とのこと。
ちょっと良くわからなかったが、
彼氏のお母さんは話が分かるひとだったらしい。
うちの親は
「あの子は留学に行きたいといっておりますので」
と早々の結婚は丁重にお断りしていた。
それでも。
私の頭の中には疑問がいっぱい。
「で、あなたはどうしたいの?
私、あなたの両親と結婚するんじゃないの
あなたはどうしたいか聞いてるの!」
と彼氏に詰め寄った。
(あぁー書けば書くほど、
若いころから、男性を追い詰めることを
繰り返してきたのかと思うと、心が痛い。
今はもう少し成長していると思うけど)
返事がなかった。
「じゃあ、どうしたいのかちゃんと考えて。
別れることも視野に入れていいから、
ちゃんと考えて!!」
と言ってしまった。
実は
19歳のころのアメリカ留学の時
たった1か月、
全然英語もしゃべれず
凹みまくって帰ってきた私でも
すっごい視野が広くなって
めっちゃ成長して帰ってきたと思った調子に乗った私は、
当時公務員だった彼氏を
「全然代わり映えのしない男性」
だと思って、
振ってしまったことがあるのだ。
だから、
「留学に行けば、あいつはまた
何か価値観を変えて帰ってくるに違いない。
また別れると言い出すかもしれない」
という恐怖心を抱えていた彼氏なのであった。
でも、行きたいといっている留学は止められない。
この先どうなるかわからない。
何も言えない状態が続いた。
数週間たったある日、
彼氏から電話があった。
「留学、行ってきたらいいよ。
でも、待たないほうがいいと思うから、
別れたほうがいいと思う」
と言われた。
最後まで優しい人。
答えはわかっていたはずなのに、
続けたとしても
きっとうまくなんていかないってわかってたのに
やっぱり涙は出る。
3月ぎりぎりまで働いて、
留学に行くという名目で
円満退社を果たした。
もうその会社に帰ってくる気はなかった。
シドニー留学
4月の頭に
シドニーについて、
月曜日に学校に行ったら、
同じ時期からコースを始める仲間が20人くらいいた。
ほとんどが日本人。
ぶっちゃけがっかりした。
オーストラリアに来てるのに
日本人ばっかかよぉー
今回は、アメリカ留学のような失敗はしない。
ペーパーテストでわざと間違えまくって、
一番下のクラスにわざと入った。
ゆっくり、わかりやすい授業がいい
と思っていたが。
一番下のクラスにも関わらず
先生はめっちゃくちゃ早口。
それでも、みんなわかってなかったので、
みんなで助け合った。
日本人とは仲間意識が芽生え、
よく遊んだ。
ホストファミリーは割といい人で、
ルームメイトはフランス人。
クラスには
日本人、韓国人、台湾人、コロンビア、ブラジル、タイ
などなどの人とがいた。
また価値観がガラガラと崩れ落ちるような
体験をしまくっていた。
仲間と夜遊びに行ったり、
ビーチに行ったり
ちょっといい感じの人ができたり。。。
自由を満喫した。
それまで実家暮らしで自由が皆無だった私には
刺激的すぎた。
すごく大人になった気がした。
自分一人でもやっていけるじゃん!
もう帰りたくない!
と思った。
1年が過ぎ、
修了証をもらったとき、
「じゃ、スピーチして!」
と言われた私は
「えーっと。。。
私はオーストラリアが大好きです!
だから、私はここを母国にします!」
といった。
つづく。
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