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日本行きがドラマの始まり。

前回の記事

までは良かった。

それからいろいろいろいろあり。

日本に行くことに。

2016年に旦那が
「どうしても日本に行きたいんだ―――!!!」
と言い出して、
(ぶちぎれるテンションで)

これまで8年も
夏は灼熱のアデレードで頑張ってくれたのもあったから
日本に行こうと思ったんだけども、

1.5年という期限付き。

だって
私、その時仕事もしてたし、
友達とビジネス起こしてたし
看護の勉強してて

それぜーんぶ辞めていったの。

だから、
心が空っぽで。

1.5年の期間限定なら
何とか生きていけると思った。

やっと自分の住みたいところのビザを手に入れて
結婚して、子供が生まれて
やったじゃーん!

みたいなときだったんだもん。

そう思ってたのは
私だけだったんだね。

旦那的には限界だったらしい。

日本に引っ越した。

というわけで、日本に引っ越したわけなのだが、
お金はさほどあるわけではないので
私の実家にお世話に。

これが、私の
いちばんの間違いだったように思う。

両親と関係が悪いわけではないし、
旦那にも気を遣ってくれた。

だけど、私がバランスが取れない。

オーストラリアで自由を手に入れたはずの私は、
また不自由生活。

特に昔の考えの両親は
「○○しなければ」「○○するべき」という考えが多い人で
とにかく愚痴が多い。

それは私のマインドの中に
どんどん入ってきて腐食していった。

最初は子供のことで母親と何度も喧嘩をした。

旦那は最初こそ慰めてくれたのだが、
仕事が見つかり、
仲間ができてきたころから
どんどん心の溝が開いていったように思う。

それはそうよね。

自分の妻は
日本で全く幸せそうじゃないのに

自分は
日本で「永住したい」と思うほど
ハマって行ったんだから。

もう引っ越した年から
「ここに永住する」と旦那は決めていたらしい。

オーストラリアから来た旦那の友人に聞いた。
私は聞いてないふりをして、
いつか諦めてくれるんじゃないかと期待して1.5年。

全くあきらめてなかった。

オーストラリアに帰る気がないまま、
また1年経過。

「ねぇ、いつ帰るの?」
と何度も聞いたが、無視。

「私は、日本になじめないんだって!
私は日本が嫌だからオーストラリアに行ったの
だから、あっちに帰りたい」
と何度も言ったのだが

私がどうして日本が嫌なのか、
NZ人の旦那はわかるはずもなく、

私も全部わかってもらえるとも思えず
英語で説明するのも、面倒くさかった。

どうしたらいいかわからなかった。

2.5年経ったある日
「俺は出ていくから、お前の自由にしていい」
と旦那は出て行った。


どうしたらいいのか。

私はどうしたらいいか、わからなかった。

実家に娘と取り残され、
旦那は一人出て行った。

今ならなんとなくわかる。

旦那もどうすることもできなかったんだろう。
何をしても不幸そうな妻に。

しょうがないんだけど。

すべてを失った気がしている私に
何を言ったところで、何をしたところで
日本がいくら素晴らしいと説明したところで
これっぽっちも伝わらない。

だって生きてきたところが違うんだから。

だから、もう手を放すしかなかったんだろう。

だけど、
家族として、一つの塊になっていないと
ダメだと思っていた。

別居は不幸なものだと思っていた。

自分が我慢すれば
家族が幸せになれるのかも、と思った。

だけど、
何を聞いても、旦那は
私に納得できる返事はくれなかった。

私はもう
精神力だけでは生きていけない状態になっていた。

つづく。

数日、暗い話が続きます。
ごめんね。


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