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どん底から這い上がるまで①断捨離
まぁ、いろんなことがあって、
今一人でブリスベンに住んでいる私ですが。
離婚や別れを経て
(娘とはちゃんとビデオ通話とかで
話したりしています。
離れてても、母子だもん)
なんとか幸せにやってる。
落ち込んだ時期も、
勝手に涙が出てくる時も
外界と自分を完全に分離したかった時期も
健康に支障をきたした時期も
あったわけで。
身体に背負ってた色んなものそぎ落として
やっとハッピーに近づけた気がする。
そして、自己啓発や心理学関係の
本やブログや、SNSに流れてくるものを
これでもかと
読み漁った。
目に入るもの全部。
まず、日本で実家にいたのがいけなかった。
両親、地域、仕事色んな事、人に
影響されてしまう。
自分の意思や、好きなもの、嫌いなもの
心地の良いものよくないもの、
わからなくなってしまう。
実家に居たり、誰かと一緒に住んでても
自分の道を貫ける人ならいいと思う。
だけど、私はどっちかっていうと
見た目強い女なのに意外と繊細さん。
だから、影響されまくった。
なんか満たされない、なんかネガティブ
なんか幸せじゃない。
こんなはずじゃない。
でもどうしたらいいかわからない。
そんな気持ちで何年も過ごした。
断捨離®との出会い
時間が空いたので
コミュニティセンターで何か習おうかと思って
出向いた。
そこで目に入ったのが
「断捨離®」のクラス。
忘れられなかった。
しばらく考えて、申し込んでみることにした。
物を捨てるのに
なぜ習わなければならないのだろう?
ただ捨てればいいだけなんじゃないの?
全6回クラス。
1回目。
自己紹介。
それと、自分は何をため込んでいるかの
チェックリスト。
先生のお宅の写真を見る。
先生のお宅。
断捨離前。
ソファーの向こうに部屋干し用のラックがあって、
洗濯ものがいっぱい。
よくある風景。
が。
断捨離後。
本当に何もない。
ソファーも、ラックも何もない。
ただ、だだっ広いフローリング。
ここまでできるのか。。。
「本当に、何もないんですね」
とつぶやいた。
(先生は、もはや、自宅すらも断捨離されている)
チェックリストで
私はモノだけでなく、
メールや写真などの、情報、SNS関係のモノも
捨てられてないことに気づかされた。
確かに、メールボックスはいつもいっぱい。
1万を超える未読メールが溜まっていた。
それを全部消すのは、何時間も,
何日もかかった。
でも、全部終わった時には
達成感、すっきり感、幸福感。
やってやったぜ!!
と思った。
2回目以降のクラスは
1回目以降、何を捨てたのかの発表と
断捨離とはという座学。
私は断捨離にはまり、
どんどん物を捨てて行った。
まずは自分の服。
もう読まない本、
押し入れに入っている用途不明のもの
写真や不要なメール
やればやるほどすっきりした。
しかし。
やればやるほど
モヤモヤすること。
両親が物を捨てないことだ。
山のような箪笥の肥やし。
いつ着るかわからない服。
ひどいものになると
旦那さんがなくなった隣のご婦人からもらった
旦那さんのスーツなど。
両親はとにかく捨てない。
どんなにがらくたにみえても、捨てない。
ダイニングテーブルは
半分モノに埋め尽くされ、
それをどかしてはご飯を食べている。
床には直置きされたものがいっぱい。
それはいつ使うの?
本当に使うの?
そこにあること、ちゃんと覚えてるの?
と聞きたいものばかり。
断捨離講座の全6回が終わるころ。
私は引っ越しを決めていた。
最後の6回目のクラスは、
講義どころじゃなかった。
ただただ、引っ越すことだけを考えていた。
娘と二人暮らし
実家を出て、娘と二人暮らしをすることにした。
その時は、出て行った旦那と元に戻れば
何とか幸せな暮らしができるのでは、
とわずかな期待をしていた。
経済的に何の不自由もなかった実家暮らし。
両親には引っ越しの理由がわからなかった。
私も、なんと説明していいかわからない。
「断捨離で気が付いたから、
物が捨てられない両親とは一緒に住めないし
このごちゃごちゃの家にも住めない」
とは
さすがに言えなかった。
理解されるはずもないと思うし。
突然、両親に言い渡し、
1か月後には引っ越し。
1か月の間、
ただひたすらに、
自分が気に入ったものだけを
最小限手に入れて、
気に入ったものと暮らすことを目標に
家具、電化製品、小物などを見に行った。
めちゃくちゃ楽しかった。
1か月後、
小さなアパートに娘と引っ越した。
達成感。
必要最低限の棚、テーブル、2脚の椅子、
2枚の布団、服を入れるプラスチックケース。
でも、経済的なしんどさはやはりあった。
どんなに切り詰めても
貯金は全くできない。
それでも、二人暮らしは
快適だった。
金曜日になると旦那が娘を連れに来て
日曜日の夕方に帰ってくる。
まる二日、
私は自分の好きになる時間と空間を手に入れた。
色んな事を考えた。
エクササイズをした。
ダイエットに成功した。
友達にあったり
たまには実家に帰ったり。
(訪れるだけなら割と許せる)
将来のことも
少しずつ考えられるようになった。
そんな時、
頭の片隅にちょっとだけ考えてた
いや、まさか、もう無理なんじゃないか
と思っていた考えが頭をよぎる。
そうだ。やっぱりオーストラリアに行こう。
オーストラリアから日本に引っ越したのは
旦那の希望であって
私の希望ではない。
旦那は日本に引っ越せば
幸せな暮らしが送れると思っていたんだろう。
私は日本が嫌で脱出したことを理解していなかったようだ。
日本に連れてきてしまえすれば、
なるようになるとでも思っていたのかもしれない。
だけど、私は、私の潜在意識すらも
それを拒否していた。
日本に引っ越してきて4年。
旦那とは別居。
娘が一人。
オーストラリアに再移住なんて、
私にできるだろうか。
でも、ふつふつと心の中にあることは
わかっていた。
今度オーストラリアに行くならどこ?
前にいたアデレードは寒いし暑いし、日本から遠い。
シドニーやメルボルンは都会過ぎる。
パースも遠すぎる。
タスマニアは寒すぎる。
そうだ。
ブリスベンにしよう。
暖かいし、日本からの直行便もあるはずだ。
いざとなったらすぐに帰って来れる。
そんなことをノートに書き記していた。
ただ。。。
まだ、その時は
本当に実行するとは思っていない。
つづく
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