心配かけたっていいじゃない 訪問介護士@オーストラリア

親側も子ども側も、子どもや親に心配かけたくない、迷惑かけたくない、という思いが強く出てしまって、困っていたり、体調が悪かったり、それこそ手術をすることになっても、子どもや親に「言わない」という選択をする方が少なくありません。介護士になる前の私もその一人でした。でもね、今は思うんです。親子なんだから心配かけたっていいじゃない、って。それは自分の体験からも、仕事を通じて数多くの親子のあり方を見てきた経験からも、心からそう思います。

オーストラリアに来て数年目、私の子どもたちがまだ幼かった頃、インフルエンザから肺炎を発症して、長期間寝込んだことがありました。当時、人に頼るのが苦手な私は、親も近くにいない異国の地で一人苦しんでいました。夫は、私が寝込んでいる状態で、まだ意思疎通も上手くできず、手のかかる子どもたちを前に、イライラから子どもたちに怒鳴ったりしていて、それを見ても何もできず、八方塞がりでした。そんな時、何かの用でたまたま電話をかけてきた母。それでも具合が悪いと言えなかった私…。1回目の電話では普通に電話を切りましたが、様子がおかしいと思ったんでしょうね。次の日も電話をかけてきて、私がずっと寝込んでいるとわかると、飛んできてくれたんですよ、オーストラリアまで。飛んできた、とはいえ、チケットを取ったり準備をしたりで来てもらえたのは数日後でしたが、どんなに嬉しかったかわかりません。3姉妹の真ん中の私は、何でも最初で心配されていた姉、何かと手がかかると言われていた妹の間で、しっかりした子に育ちました。どうせ私は気にかけてもらえないと思って生きてきたし、辛い時も「助けて」って言えなかったんです。でも、飛んできてくれた母を前に、「あー、私もちゃんと気にかけてもらっている子どもの一人なんだ」と思えました。もし飛んできてもらえなかったとしても、あの時、自分が苦しい状態にあることをわかってもらえただけでも、きっと精神的に救われていたと思います。その後、友達からも「なんで頼ってくれたなかったよの!」って本気で怒られました。この経験は、本当に私の中で大きな出来事となり、その後、オーストラリアの方々にたくさん助けてもらいましたし、私もできる限り友人などを手助けするようになりました。そして「助けて」って言ってもらえる嬉しさもたくさん感じたのです。

そして、私の両親も年を取りました。年齢の割に元気な両親も、身体的にちょっとした問題が出てくるようになりました。そして、心配かけたくないからと手術をすることを異国に住んでいる私には言わなかったり、忙しい妹には言わなかったり…ということが何回かありました。妹は「自分だけ言ってもらえなかった」とかなりショックを受けていました。その気持ち、とても良くわかります。子どもからすれば、親のことを心配したいんですよ。たとえ手助けに行けなくても、ちゃんと状況だけでも知っておきたいし、気にかけていたい。心配していたいんです。親側からしても、どんなに小さな手術や安全だと言われている手術だって、手術は手術。大なり小なり不安はあるはず。そんな気持ちに寄り添ってもらえるだけで勇気をもらえると思うのです。また、子どもが複数人いる場合、誰かに言って誰かには言わない、という状況は本当に良くないと思います。言ってもらえなかったことや頼ってもらえなかったことに対するショックや落ち込み、親に対する怒りが出てしまう場合もあるでしょう。そんな感情より、心配の方がよっぽどいい。万が一、手術で何かあれば、手術自体を知らなかった子どもは後悔も大きくなるでしょうし、親子間や兄弟間で溝ができてしまうこともあるでしょうし、いいことなんてありません。私は高齢になってきた方々に声を大にして言いたい。子どもがいるなら、自分の健康状態はちゃんと子どもに伝えましょう、と。どんなに遠くに住んでいても、どんなに忙しくしていても、間柄が多少ぎくしゃくしていても、です。そこから距離が近づけることもあるでしょうし、忙しくてもどうするかは親(子)が決めることではなく、子ども側(親側)が決めること。心配するしないも、相手が決めればいいことなんです。

私の子どもたちは家を出ていますが、離れて暮らしているとやはり身体のことが一番心配だし、親からしたら、何歳になっても子どもに頼られるのは嬉しいものです。子どもだって親から頼られたら嬉しいですよね。
愚痴を言ったり文句を言ったりしながらも、親を心配したいものなんですよ、大人になった子どもって。



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