終末期医療と尊厳死 訪問介護士@オーストラリア
日本の終末期医療や尊厳死に関わる問題についてレポートを書くことを通じて、社会や医療、法制定の動向も含め、社会の中で生きることと死ぬことについて深く深く考えました。自分の命は自分だけのものではないのだというのが、私が辿り着いた結論です。今はここから派生して、人間の尊厳とは何かについて思いを巡らせて文献を読んでいます。学びとは奥が深く、終わりがない旅のようなものだと感じる今日この頃。私が書いたレポートを読んでいただけたら嬉しいです。
1.自己決定や権利に関わる問題
日本では、患者の意思に基づき、医師が患者に致死薬等を投与して生命を終結させる安楽死(積極的安楽死)と、生命維持治療を中止あるいは開始せず患者が死ぬに任せる尊厳死 (消極的安楽死)が峻別されており、安楽死は法的に認められていないが、尊厳死は容認されており、既に医療の現場で日常的に行われている。しかし、「死なせること」を実際に行うという実践的事実は、安楽死も尊厳死も同じである。
現代社会は自律と自立が重視され、尊厳死も自律的な自己決定が大前提となっている。自分のことは自分で決める権利があるという思想は、1960年代から1970年代のアメリカ社会で喧伝され、カレン・アン・クインラン事件をきっかけに、治療停止に関わる議論では「死ぬ権利」が主張されるようになった。そして、個人の自己決定権が絶対視されることにより、社会的・文化的文脈の軽視・無視や、他者の遮断・排除が促進される傾向にある。
しかし、人間は、周りの人との関係性の中で生きており、死にゆく時やその後も家族のみならず、多くの人が関わっている。「生」のみならず、「死」も周囲の人々にまたがる人間関係の中で起きる事柄なのだ。また、治療停止を求める人の中には、単に苦痛や恐怖からの解放のみならず、これ以上家族に迷惑をかけたくないと考える人も少なくない。そういった考えに至る背景や、人の苦悩や幸せも、決して自分の中だけにあるものではなく、人との関係性の中で得られるものと言える。また、終末期には、本人の意志が揺れ動くことや、不明な場合も多い。たとえ事前指示書やリビングウィルがあっても、認知症が進行している場合など、以前の意志を現在の意志として尊重すべきか判断が難しい状況もある。
そして、終末期の治療に関して自己決定をするには、患者側にも十分な情報が必要であり、治療全般に渡るインフォームド・コンセントについて、医療法第1条の4第2項に規定されている。しかし、これは医師の努力義務を定めたものに過ぎず、患者の権利の観点からは不十分なものである。これに対し、「患者の権利法(医療基本法)」を制定しようとする動きがあるが、法制化には至っておらず、患者側の権利の保障には依然として問題があると言え、社会や他者からの圧力によって、死ぬ権利が死ぬ義務に転換されることも危惧される。
3.日本や世界で起きていること
日本の医療現場で延命治療を積極的に行わない理由の一つに、国家財政にかかる医療や福祉のコストの抑制が挙げられる。令和3年度の国民医療費は45兆359億円となり、人口の少子高齢化が進む中で、医療費の増加が問題視されている。延命措置の中止は本人の意思決定を基本としながらも、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に基づき、本人の意思が確認できない場合でも、特定の状況下で延命医療の中止が行われているのである。インフォームド・コンセントもマニュアル化されているのが現状だ。2012年には、延命措置を中止しても医師の責任は問われないといった内容を含む「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(尊厳死法案)」が公表され、合法化には至っていないものの、人間の尊厳と銘打って、無益な治療はすべきではないとすることが一般に浸透しており、尊厳死法の合法化が社会的弱者と呼ばれる患者に圧力を加えることや、延命を諦めることを後押しすることが危惧される。そして世界では、尊厳死のみならず、安楽死や医師による自殺幇助の合法化が広がっている。一部の国では対象者の拡大や手続きの緩和等のすべり坂も起き、安楽死による死者は増え続けており、安楽死の日常化が懸念される。
4.まとめ
たとえ回復の見込みがない終末期であっても、医師が無益な治療と決めつけることなく、一人ひとりの患者やその家族の意志に沿った医療や介護を受けられる権利、つまり尊厳のある「生」が保障される社会や医療であるべきだ。いかなる人も、無益な人として扱われることがあってはならない。そして、終末期医療について考える際には、メディアや医師の言葉を鵜呑みにせず、尊厳死も安楽死同様に死なせる行為であることを自覚した上で、生命を決して自分の所有物として扱うことなく、個々の「生」と「死」について、その人を取り巻く人々も含めて丁寧に議論を重ねる必要があると私は考える。
【引用文献・参考文献】
香川知晶 2021年『命は誰のものか 増補改訂版』ディスカヴァー・トゥエンティワン
小松美彦 2018年『「自己決定権」という罠 ナチスから相模原障害者殺傷事件まで』言視舎
一ノ瀬正樹 2011年『死の所有』東京大学出版会
児玉真美 2013年『死の決定権のゆくえ』大月書店
児玉真美 2023年『安楽死が合法の国で起こっていること』筑摩書房
松田純 2018年『安楽死・尊厳死の現在』中央公論新社
有馬斉 2015年『尊厳死の合法化は社会的弱者にとって脅威か』
https://synodos.jp/opinion/welfare/11862/
有馬斉 2020年『「安楽死を認めよ」と叫ぶ人に知ってほしい難題-議論はあっていいが一方向に偏るのは危うい-』https://toyokeizai.net/articles/-/367007
青木志帆 2012年『尊厳死法案の問題点 -法律家の立場から-』
https://synodos.jp/opinion/society/1477/
厚生労働省 2018年『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』
https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10802000-Iseikyoku-Shidouka/0000197701.pdf
厚生労働省 1948年『医療法』令和元年6月14日法律第37号
https://hourei.net/law/323AC0000000205
日本医師会総合政策研究機構 前田由美子・福田峰 2007年『後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析』日医総研ワーキングペーパー №144
https://www.jmari.med.or.jp/wp-content/uploads/2021/10/WP144.pdf
厚生労働省 2023年『令和3(2021)年度 国民医療費の概況』
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin//hw/k-iryohi/21/dl/data.pdf