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柔らかな魂、とげのある瞳


"soft soul, prickly eyes"


過度な睡魔と極端な睡眠不足からはじまる10月。

2度目の羊文学のライブ。

またもアキが連れて行ってくれた。



「好きなアーティストは誰か?」

と聞かれたら

迷いなく1番にあげるのは"羊文学"になってきている。


2番目以降は、たぶんすごくいっぱいある。

きのこ帝国やアジカン、エルレにkeshi…
KEIJUやサカナクション、あいみょん…
kojikoji、宇多田ヒカル、KOTORI、the engy、
lanyやlauvなどのきれいな声の海外アーティストやcoldplayのような世界に名の知れている年配アーティスト、BTSの曲もたまにどハマりする。
最近は台湾出身のアーティストも好きだ。


大事なのは耳が「好き!」というかどうかで
歌詞よりかはイントロやリズム、重厚音など、
音に一目惚れするかどうかが大事だ。


羊文学に関しては、
声もリズムもイントロも歌詞も全てが好きだ。


今回の全国ツアー(10/2 東京ガーデンシアター)でのセトリは、聴いたことはあるけれど曲名や歌詞がわからないものが若干多かった。
塩塚モエカさんの儚い声とゆるやかな音に極度の睡魔があいまり、途中うたた寝をしてしまいそうになる程、、、

途中激しめの曲があったものの

「疲れたからラクにやろうよ!好きなようにやらせて!」

という、モエカさんのゆるほわなMCのように

終始心地よく、あっというまな水曜の夜となった。




そもそもアキに会うのが久々だった。

久々に会う友達と話す内容は基本的に近況報告しかないだろう。社会人にもなると話す話題は[仕事と恋バナ]、基本的にはその2大政党になってしまう。手短に話しながら、仕事に関する自分の話はどうも話を進めていくうちに自分が嫌になる。



昔と言っていることが違う
何も前に進んでいない気がする


周りに自分の夢を追って頑張る友人が多いなかで

とくに目的を持たず刹那的に今を生きる自分が恥ずかしくなってくる


なにを言っても、間違っているというか
いちゃもんつけて逃げているようにしか思えず

右往左往した話や
二転三転コロコロ変わる話をしたら
相手に嫌われるんじゃんないか?という心配や不安を抱く、

それ以上にそんな自分が自分自身で嫌になる。


前回の横アリでのライブの時もそうだった。
アキと久しぶりに会い、羊文学の曲に浸ると同時に人生における自分の現在地を俯瞰して、希望の光が小さな穴からギリギリ差し込んでいるような暗闇に落ちる。

(※これは悪いことではないと思ってる)



大学の最初の頃使っていた"地方創生""地域活性"はすぐに苦手な言葉になった。就活時代に使っていた"人と人とを繋げる"もいつのまにか鬱陶しく感じるようになった。世間一般がイメージする上昇志向も消えがかっている。


「地元で…貢献…」
「地方を転々と…」

そんな理想像をこぼしていたが
今を生きるのだけで精一杯というか
未来の生きている自分が描けない、
想像ができない。


あまりいいことじゃない気がした。

なんとなくでもいいから、
未来像を描けてて欲しい。(自分が)


睡魔と戦いつつ、羊の曲に浸りつつ、

あまりにも眩しい光に目を細めながらそんなことを考えていた。



初、生の『tears』。
私が知ってる『tears』とは少し違う雰囲気の明るさを4くらい強めた雰囲気だった。


"幼い頃の夢を教えて"


幼い頃の夢がなんだったか

"ケーキ屋さん"と答えていた
"世界一周"と答えていたときもあった



紙の中の質問のひとつ「将来の夢」

"その空欄をとりあえず埋めるために描いていた"

今思えばそんな表現ができる気がした。


ケーキ屋さんだなんて現実的じゃないと小学生低学年の時から早々と気づいていた。世界一周だなんて、何か違う夢を2、3個達成してから望む夢だろう。



大学生の頃は、"地元に貢献"だなんて言っていたが、ただの口だけだ。

好きな地元じゃなくなったら
その地元のためにどうにかしたいと思わない。
(そんな気がしてる…)


自分がニコニコに生きるだけでも
かなりのパワーが必要ななかで
他人のためにそんなに頑張れない。


顔見知りの好きな人たちにしか
愛を振り撒かないよ、振りまけないよ。


社会を変えたいとか
知らない誰かを幸せにするために努力するとか
そんなの望んでない 

頑張る人たちはまぶしすぎるし

自分のやってることが正義!みたいな感じがしてどうも目を背けたくなる

困った性格だ。




羊の歌詞は常に心に響くものがあり
『tears』の歌詞も好きだが、
羊文学の問いかけに答えられる答えが自分にはずっとなかったことに気づいた。

"幼い頃の夢を教えて"


そんなのずっと持ってなかったよ、
よく考えたら。



夢なんて幼い頃からなかったんだ
ずっと

進学をするため、就職をするため、
その一時的な目的達成のための夢でしかなかったのかもしれない 


気づいてしまったな。




「どんな未来が美しいとわかっていたのか」

どんな未来が美しというんだろうね。

その、自分にとっての美しい未来が
夢となるんだろうね。なるのかもしれないね。






あと3ヶ月も経たずして2024年が終わる。
何を変えて何が変わるのか、
生きているかもわからない。


生きるって怖くて不安で嫌になる。

それでも生きちゃうんだね、きっと。

addiction


生きることに対して、何か中毒性でもあるのかしら?






想いが冷めないうちにと
夜な夜なかいてみたものの
あまりにもまとまりがない
ダラダラとした文章になってしまった気がする


とりあえず公開ボタンを押してみてしまおう。

それくらいな"とりあえず"の気持ちで就職活動だったり、自分が生きる方向性をひょいっと決めて走り出せたらいいのに。またも同じ場所で足をバタバタし続けてしまうのだろう、しばらくは。



追記)

冒頭にも述べたが、アキと久しく連絡をとっていなかった。

たまに見るアキのストーリーからなにか混沌とした感情や忙しさを感じ、自ら連絡をとるのをそっと我慢していた。

親友ちゃんと彼?といぬ子たちでもうお腹いっぱいというか、もうそれで十分…それ以上はいらない…

そんなふうに勝手に解釈していた。

夢に向かって努力しているアキからしたら
私はぐうだらぷうのすけ、何もせず口だけで能天気なおちゃらけさんに思われてるんじゃないか?みたいな、めんどくさい思考が脳を通過していた。


だから、アキからのお誘い、しかも羊文学のライブ!は本当に嬉しかった。自分が楽しむことも大事だけど、楽しんでるアキが隣にいることがただただ嬉しかった。


私の夢はまだまだ思い浮かばないかもしれないけれど、小さな願望はたくさんぽこぽこ出てくるわけで、なによりも人生においての一本の軸(自分のエゴ)

みんなに明日も楽しく生きてほしい、
もちろん今日も。もちろん自分も。
 


これは、ずっと変わってない。

だから、辛いこと悲しいことたくさんあると思うけれど、どうか明日も楽しいことが一個でも、嬉しくなっちゃうようなことがひとつでも、アキにあったら私は嬉しいです。

いつもありがとう。

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