シークレット・ジャーニー (1分小説)
「お客様の中で、お医者さまはおられますか?」
客室乗務員が、慌ただしく機内を行き来する。
隣の尚美が、私の袖をつかむ。
「大丈夫だ、尚美。何ヵ月も前から、私も、この旅行を楽しみにしてきたから」
私は心臓外科医、尚美は銀座のホステス。つまり、そういう仲だ。
ここで人命救助でもして、報道されたら、妻や病院にバレて困る。
他に誰か、医療関係者がいるはずだ。私は、寝たふりをすることにした。
しかし。
何分経っても、名乗り出る者がいなかったのだろう。機内アナウンスが入った。
「ニューヨーク空港行き、JALL345便をご搭乗のお客様に、ご連絡いたします。
当機は、急病のお客様を搬送するため、予定を変更し、アンカレッジ空港に緊急着陸いたします」
尚美が、私にしなだれかかってきた。
「患者さんより、ワタシを選んでくれたのね」
長い茶髪が、ひんやりと気持ちいい。
理詰めの科学者の妻とは対照的で、とても甘え上手で、かわいい。
【10分後】
結局、急患は、アンカレッジ空港に着陸する寸前に、息をひきとってしまった。
心臓発作だったとか。
心臓。私の専門分野。チクリと、胸が痛んだ。
遺体をタンカで降ろした後、JALL345便は、再び、ニューヨーク空港へ向けて出発した。
5分ほどして。
「西田ドクターですよね?」
通路側から声がして顔を向けると、かつて、私が執刀した患者がいた。
「なぜ、さっきは名乗りでなかったんですか?」
乗客たちの視線が、突き刺さる。
その時。
テレビモニターでニュースを見ていた尚美が、また、私の袖をつかんだ。
「あの急患、腕時計に、爆弾の細工をしていたんですって!テロの疑いアリって」
きっと、極度の緊張で、心臓に負担でもかかっていたのだろう。間抜けなヤツだ。
「ドクター。やっぱりそんな恐ろしい人、助けなくて正解だったかもしれませんね」
元患者も、他の乗客も、青ざめた表情をしている。
テレビモニターに、テロ犯の腕時計が映った。
妻が、愛用している腕時計とそっくり。いや、そのものだ。
「アイツ、私たちの後をずっと追っていたんだ」
尚美が、またまた袖をつかむ。
「アイツって?奥さんのこと?」
画面にテロップが入る。
「容疑者の夫と見られる男性も、乗客名簿に記載されている模様。
JALL345便は、再びアンカレッジ空港に緊急着陸する予定」
客室乗務員が、つぎつぎと私の周りに集まってきた。